メトロポリタン美術館展で楽しみにしていた作品のひとつがレンブラントの『フローラ』。これはサスキアがモデルかと思っていたが,解説を読むとこの作品が制作されたのはサスキアの死後なので、モデルではないらしい。この作品の発想源はむしろティツィアーノの『フローラ』ではないかとある。当時アムステルダムにティツィアーノのフローラがあり,版画化もされていた。

この作品を見た時,何とも寂しそうな表情だなと思った。正直言うと,レンブラントの描く女性の表情はあまり好きにはなれない。今画像で見るとあまり感じないが、会場で見たときは何となく重苦しいものを感じた。しかしながら,この絵で一番惹きつけられたのは,袖口。

この筆の運びが実にリズミカルでかつ重々しいギャザーの布地の質感を実によくあらわしている。レンブラントはこれが描きたかったんじゃないのか。版画のフローラを見ても原画以上に不自然なほど過剰な袖のたわみである。しかしレンブラントの作品ではそのような不自然さはないのがさすが。

 Joachim von Sandrart flora

いわゆるドレイパリー表現はレオナルドの素描などもある。が、ここでの表現はそれとも違い,布地の張りがあるがくしゃくしゃっとした感じや光が撥ねている様子が粗い筆致で鮮やかに描き出されている。

 とはいえどこかバランスが悪い作品。その豊かな袖に見合うどころか、逆にシンプル一辺倒な身ごろに血の気の失せたような横顔。真珠のネックレスとイヤリングがあるとはいえ。元のティツィアーノは半分ヌードで髪も豊かなブロンドが波うっていたわけだが。

 誰かが『フローラ』を注文したとして,この作品が届いたら,ちょっと落胆するのではないか。あまりにも沈んでいるとして。この表情は謎。