クリストファー・デ・ハーメルの『A History of  ILLUMINATED MANUSCRIPT』(PHAIDON)(1994 第二版)を読んでいる。第1章の「Books for Missionaries」は7-9世紀のブリテンとアイルランドの初期の宣教師たちが生み出した極めて洗練された書物について。

 概略:宣教師たちは言葉でもって宣教し,書物を見せるということが極めて重要だった。アイルランド風とブリテン風と分けられるものでなく,相互に影響を受けつつ書物がつくられていった。教義上の対立などもあり,大陸へと活躍の場を求めていった宣教師たちも多くいた。またローマとのつながりは切れておらず,人の行き来や書物の往来と言うことも続いていた。

 

 以前にヴュルツブルクにある写本についてブログに書いたが,前後を読むとその意味合いも少し異なることが分かった。

 

 

大陸におけるアングロ-サクソン共同体が書物を獲得する方法は,おそらく三通りあったという。一つ目は,創設者の資産あるいは訪れたアングロサクソンの宣教者の荷物から獲得した。自分自身のマニュスクリプトを書くことができた。二つ目は簡単に行われた。修道士が模範となる例文を持っていれば,アングロサクソンの人々が大陸にいる間に,多くの“insular(島嶼的な)”コピーを作る事ができた(※①)。8世紀の書物の国籍nationalityを割り当てるにはデリケートな手腕が必要。アングロサクソンの写字生が大陸にいる時に制作した書物もある。(※②)三番目はさらに面白い。ブリテンからのマニュスクリプトの輸出のためのある種の家内工業が合ったのではないかと想定される。そういうことを想起させるような手紙のやり取りが残っていて,大陸の書物が有名な人物の直筆かと思えば,精巧なコピーだっという事実があるそうだ。

※①の例として,ヴュルツブルクのマニュスクリプトが挙げられている。

※②の例として,トリ―アにあるマニュスクリプトの例が挙げられている。この書物は8世紀にエヒテルナッハ修道院で制作されたものだが,この一部はアングロサクソンのトーマスと言う名の写字生によって書かれている。一部は名前は分かっていないが,地元の写字生。クリストファー・デ・ハーメルの書物には載っている挿絵は四福音書記者のシンボルが描かれているものだが,別の挿絵を挙げよう。

The Trier Gospels, folio 5v, The Tetramorph between circa 700 and circa 750,Domschatz, Trier

この挿絵の一番下に,トーマスのサインがある。これはまさにインシュラーそのもの,さすが本家本元と言う感じである。8世紀の制作だが,アングロサクソンの写字生がエヒテルナハ(現在ルクセンブルク)に赴いて書いた。こういう例を見ると,ヴュルツブルクの写本が特別例外的なものでなく,数ある中の一つだったのだろうということがわかる。宣教者が大陸に赴き,そこで必要な書物を調達するという一連の流れがあったということ。もともと,なぜアイルランドから多くの宣教者が大陸をめざしたのかということが疑問だったが,その答えはたぶんすっきりと一言で答えられるようなものではないのだろう。例えばフランシスコ・ザビエルが日本をめざした理由も,多くの要素が複合しているだろうから。地元の人々がなぜそれを受け入れたかと視点もある。なので疑問がすっきりしないのは変わらないが,割り切った答えを出す方が危険と言う気がしてきた。この写本が制作されたエヒテルナハ修道院については次項に。

 

 余談だが,このデ・ハメルの書物は英語。ふつう,英語の書物を,つまみ食いでなく,読み通すということはしないのだが(努力しないとできないと言う方が正確),ただいま正月休みにつき時間がある。読み始めると,これが実に面白い。第一章はアイルランドの聖人の固有名詞が多く,イメージが湧かないのでそのあたりが大変だったが,そのほかはとても分かりやすい英語で楽しい。たぶん,全部250ページほどの書物全体をこの調子で読むことはできないだろうが,とりあえず第1章,40ページほどで半分以上が美しい写本の図像,飽きずに進められた。