『中世彩飾写本の世界』(内藤裕史著,美術出版社,2004年)の続き。

1995年,内藤氏が在職した筑波大学を退官する時の記念品として,ヨーロッパ中世の写本の一葉を希望。選択を任された氏はロンドンに国際会議に行く折に古書店を訪ね「ロンドン郊外のセント・オールバンズ修道院にあった聖書の一葉」(p47)として勧められたものを選ぶ。

それがこの展覧会のパンフにも使われたもの。このページについて内藤氏は「金に朱と青をあしらった縁飾りが自由闊達で、四センチ四方の装飾頭文字は金泥をふんだんに使い,ラピスラズリの青と白の線描にマリアの衣の朱が浮き出て,素朴ではあるが入念に書きこまれている。」と評している。

イニシャルの外側の青地に白の線描の線のしなやかさ,そして全体の色のバランスがとても良いと思う。

 

この出自について。イギリスにアラン・トマスと言う古書店主がいて彼が古希の時お祝いとして「彼を通じて本を買った人たちが寄稿し一冊の本が出版された。」「その中にクリストファー・ド・ハーメルと言う人が書いた短い文章がある。」(p48) ド・ハ-メルならこのブログでも何度か書いている。知った名前だ。

 

ド・ハーメルについて内藤氏は次のように書く。「彼の著書『彩飾写本の歴史』は全巻を通じ無駄な話,退屈な語は一語も無いと評される名著として知られ,この分野に親しもうとする人の入門書であると同時に、レベルの高い教科書である。」(p48) ここで挙げられた本が『A History of  ILLUMINATED MANUSCRIPT』(PHAIDON )でブログでも引用した。

 

 さてド・ハーメルが寄稿した内容は,彼が十六歳のころ写本に興味を持ってあちこちの古書店に手紙を出した時、唯一まともに応対してくれたのがアランで,ある日14世紀の聖書の一ページが送られてきた。ド・ハーメルは生まれて初めて(彼にとっての)大金12ポンド強を払い入手。アランの手紙には「君の財布は空になったかもしれないが,決して後悔はしないだろうと書いてあった。後にド・ハーメルはオークション会社サザビーズに勤めていた時に,この聖書が1330年代にパリで作られ,その後セント・オールドバーンズ修道院長室にあったものだということを突き止めた。」詳しくは省略するが,ちょっとしたミステリー解読のようなもの。

  聖書はばらばらにして売られ,  そのうちの一枚が15年前に少年ド・ハーメルが入手したもの。 そして内藤氏が退官記念にと選んだ一葉も,この同じセント・オールドバーンズ修道院長室にあった聖書だったのである! 

 

ここで私ならこのセントオールドバーンズ修道院の画像を探すところだが,内藤氏はなんとイギリスまで出かけていく……!

 イギリス聖書の殉教者聖オルバンが処刑された丘の上に寺院が建てられ修道院が併設。1115年に献堂されたときは,イギリス屈指の規模だったそうだが,1539年ヘンリー八世の命令で寺院を残して修道院は取り壊されてしまった。(寺院は残った)1877年に司教座聖堂となり大規模な修復が行われたとのこと。

 

ここでド・ハーメルと写本の一ページをめぐるつながりがあったのだが,このあと2001年実際に内藤氏はクリストファー・ド・ハーメルに会う。それはまた次に書く。

 ところで,来歴が分かる一枚物は数少ないらしい。この内藤コレクションのカタログがないかと検索したところ,来歴の調査に思いのほか時間がかかり,図録の完成は遅くなるという記事が出ていた。それも来歴の解明の難しさからか。ちょっと残念。ともかく700年ほども前にパリで作られた写本が,日本のつくばの大学教授のもとに購入され,今では東京の上野の美術館に収まっている不思議。