マールの『キリストの聖なる伴侶たち』(田辺保訳、みすず書房)に載っている聖ヤコブの続き。

「聖ヤコブとスペイン」

聖ヤコブがスペインに旅をしたということについて,スペインの最古の著作家たちも、ガリシアの著作家たちも何も語っていない。(4~6世紀) 7世紀になって初めて,セビーリヤのイシドルス作と言われる(実際はそうでないとマールは書いている)『教父たちの生死について』の中で,ヤコブがスペイン伝道に来た旨が述べられている。結論として「スペインのキリスト教徒たちは,歴史はじまって最初の七世紀間は,スペインには聖ヤコブによって福音が伝えられたことを知らずにいたのであると。」(p213)

 ヤコブのスペインの伝道と言う考えが受け入れられると,これが「想像力の源泉」となって,次々にいろいろなことが“発見”される。ヤコブがスペインで布教したにとどまらず,スペインに埋葬されたことになり,803年には,ある修道士が天使のお告げを受けて,聖人の墓も発見された。その上にコンポステーラ教会が建てられた(教会の建設は11世紀末)。この墓の発見が,多数の巡礼者を引き付けるようになった。ただし,ヤコブがエルサレムで死んだことは疑う余地が無かった。それがスペインにあることを物語る必要があった。それについて,“彼の墓の場所についてはパレスチナ,エジプト,キュレナイカの砂漠といろいろな説があったので,実は正確には誰も知らなかった,誰もが思い違いをしていたということになって,遺骨がスペインにあることを断言できた”,とマールは述べている。 

 ※確かに誰もがヤコブの墓の場所を知っていたら,それが本当はスペインにあるといわれてもにわかには信じられないと思う。場所についていろんな説があり,どれも本当らしくもあり疑わしくもあったから,それらしい墓の発見(天使のお告げで森の中の建物を発見,内部にローマ時代のものらしい大理石の墓があった。)があり,かつ,うまくそれを宣伝できたので,皆が信じるようになったのだろう。

 

 聖ヤコブの遺体のユダヤからスペインへの移送の物語。

850年ごろに『聖ヤコブの移葬』という書が編まれた。その物語の概要を述べると,聖ヤコブが殉教した後,七人の弟子たちはユダヤ人を恐れて聖人の墓をつくることができなかったので、はるばる7日間かかってスペインのイリヤまで運んだ。そこの女地主は初め墓を作ることを拒否したが,“雄牛の奇蹟”(後述)に撃たれてキリスト教信仰を受け入れ,彼女の所有地に埋葬した。ただしこの物語は,もともとスペインのグラナダ地方にあった古い伝説であり,グラナダの七人の聖人の物語をヤコブの名に変えたということのようである。

 10世紀から11世紀には、物語がスペインにとどまらず,ヨーロッパの全キリスト教徒に広まった。当然芸術家たちもこの題材を取り上げた。

ピストイア大聖堂の 銀の祭壇 ヤコブの殉教

Leonardo di ser giovanni, storie di san jacopo, 1367-71, 08 martirio 1 ①

 

船で遺体を運ぶ弟子たち。弟子が七人ではなく十人もいる。

Leonardo di ser giovanni, storie di san jacopo, 1367-71, 09 traslazione delle reliquie in galizia 1 ②

①、②とも photo by Sailko CC BY 3.0

※ この弟子が聖ヤコブの遺体を心配げに覗き込む感じがいい。この小さな帆船でエルサレムからスペインまで行けるとは思えないが。

 

フランス,フィニステール県スぺゼにある教会のステンドグラス。15世紀の作品。

Spézet (29) Chapelle Notre-Dame-du-Crann Baie 02-1

 Verrière de Saint-Jacques-le-Majeur de la chapelle Notre-Dame-du-Crann en Spézet (29). photo by GO69  CC BY-SA 4.0 

File:Spézet (29) Chapelle Notre-Dame-du-Crann Baie 02-1.JPG,

Created: 11 September 2011

 

マールがほとんど知られていないステンドグラスと言っている作品。フィニステール県はブルターニュ半島の最西端,地名も地の果てを意味する la fin de la terre から来ているという。このステンドグラスでは,ヤコブの船はほとんど一人用に見えるが,弟子はどこに乗っていたのか? 一番下の場面は,スペインについてから,雄牛の引く車に遺体を乗せて運ぶシーン。この雄牛が手ごわくて,例の女地主の思惑では,車につなごうとするだけで暴れて、車は粉微塵、弟子たちの命もなくなると踏んでいたが,弟子たちが十字のしるしを切ると,たちまち子羊のようにおとなしくなり自分たちで遺体を墓場まで運んで行ったという。(これが“雄牛の奇蹟”)

 すでにおとなしく足並みもそろって車を引くかわいい雄牛たち。

 

 おそらく各地に教会に同様のステンドグラスが何枚もあっただろうとマールは言う。

大事に遺体を移送する弟子たち,これがヤコブの墓がスペインにある根拠になるわけだから重要な場面である。地の果ての教会のステンドグラスにも表され,信者たちは日々それを見ていたのだろう。マールが書くように「聖ヤコブの遺体の移送というこの物語は、中世ではすべての人が信じていた」(p226)。

 

ところで,サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼は今でも行われており、それをめぐる物語も作られている。二十一世紀に入って巡礼者が増えているらしい。巡礼路を歩く理由は人それぞれだろうが,聖ヤコブをめぐる物語は生き延びたらしい。