前回のブログで「画家と学者との関係,さらにハプスブルグ家を介してホフナーゲルとリゴッツィが関係があっても不思議ではない気がするのだが。(もちろん何の根拠のないただの想像。ひょっとしてもうすでに研究されているかもしれないが)」と書いた。がハプスブルグ家と言えばアルチンボルドと言う名も浮かんだので,家の本を見てみると,ちょうど『アルチンボルド展』(2017年)のカタログがあり,「アルチンボルド―自然,芸術,技巧のはざまで」(ジュゼッペ・オルミ,ルチーア・トンジョルジ・トマージィ)という格好の文章を発見。

 アルチンボルドは1562年にハプスブルグ家のマクシミリアンによってウィーンに招聘され,1567年にマクシミリアンが没するとそのまま後継者のルドルフ二世に仕えたとある。ルドルフ二世の宮廷には「医師や天文学者,植物学者,錬金術師,自動機械人形の制作師といった人々が集められ,給与を支給されていた。」「加えて自然界の事物に対してひときわ繊細な感性を有していた芸術家たちも集まっており,たとえばフランドル人のルーラント・サーフェリーだとか,細密画家のヨリス・ホフナーゲルの名が見える。」「ハプスブルグ皇帝家に伺候した自然科学者としては,たとえば植物学者のカロルス・クルシウスがいる。彼は1573年にマクシミリアン2世によってウィーンに招聘され植物園の造園にあたった。」その他の学者として「ヨハネス・クラト」「レンベルト・ドドエントス」「ティコ・ブラーエ」「ケプラー」「ヨスト・ビュルギ」等々。(p101)

 

まずサーフェリーだが,ルドルフ二世が飼っていたらしいドードーを描いている。

 

ホフナーゲルもドードーを描いていた。

 カロルス・クルシウスは著書にドードーの図版を挿入。

 

アルチンボルドに関する記述として,彼の地元ミラノにはかつてレオナルド・ダ・ヴィンチが滞在し,彼が携帯した植物学研究の資料がミラノの芸術文化に大いに影響を及ぼしたという。

 たとえばレオナルドのこんな素描。※ カタログの図像とは違う作品である。

Leonardo da vinci, mirtillo palustre, 1506 circa, windsor, royal library.

 

このような素描がミラノの芸術文化,ひいてはアルチンボルドにも大きな影響を与えたという。