エミール・マールの『キリストの聖なる伴侶たち』(みすず書房)の聖マリア・マグダレナ続き。

 次にジョットの作品が挙げられている。アッシジの下部聖堂の聖マグダレナに捧げられた礼拝堂のフレスコ画。黄金伝説の場面である。「櫂も,帆も,舵もない小舟にラザロ,マルタ,マグダレナ、生まれながらの盲人であったのに主に目をあけてもらった人が集まっている。空にはこの小さな船を守りみちびいていく天使たちが飛ぶ。斬新で詩にみちた着想である。」(p106)とあるが,この海に漂う小舟と天使,確かに斬新なイメージ。何とも心細げな船の人々と,振り返り気遣いながら空を飛ぶ天使。こんな天使に会いたいものだ。

 岩の上に横たわる女性は,やや唐突な感じだがマールは黄金伝説に出てくる王妃の死体であろうという。

 

次に,マグダレナが天上の音楽を聞くために天使によって、上方高く連れられて行く場面。

 

聖マクシムスが洞窟の中のマグダレナに衣服を持ってくる。

この上の二枚のマグダレナは,半ば裸で,髪の毛がその身を覆う。

そしてマールがジョットの天才をまざまざと感じさせるという一枚。

 《我に触れるな》

キリストもマグダレナも比類のない高貴さを備えていて,一挙一動が,「何世紀にもわたって完成されてきた,典礼の作法を体現している。」(p107) この絵は1320年代のものだが,パドヴァでもジョットは同じようなモチーフを描いている。

スクロヴヴェーニ礼拝堂(1303-05)

このジョットの作品を挙げて,聖書をはみ出した物語もイタリアでは知られていたとマールは述べている。ところで,リーメンシュナイダーも(彼が典拠としたショーンガウアーの作品も)基本的に、このジョットの〈我に触れるな〉の構図に則っている。ところで,風は吹いているのだろうか? パドヴァの作品のキリストのもつ旗は翻っているけれども,マグダレーナの服は下に垂れ下がる。マグダレーナの服を靡かすほどの風が吹き出すのはいつからなのだろう。