『絵画の発明-ジョルジョーネ「嵐」解読』(サルヴァトーレ・セッティス著,小佐野重利漢訳石井元章・足立薫訳晶文社,2002年)より。

 「ドメニコ・ギルランダイオは,―かつてアビ・ヴァールブルクが完璧に証明したように―別の方法で“異教世界の死”をサンタ・トリニタ聖堂サッセッティ礼拝堂のために描いた《キリストの降誕》に表現した。」(p172) 

Adoration of the Shepherds,   Domenico Ghirlandaio  (1448–1494) 1485 


 花綱-フェストゥーン-と銘文で飾られた古代ローマの石棺の許にイエスを置いているということは,キリスト誕生の直接の結果としての,古代宗教の終焉を示している。

セッティスはさらにヤコポ・バッサーノ作の《東方三博士の礼拝》を挙げ,この壊れた円柱の意味もジョルジョーネと同様としている。ヤコポ・バッサーノはこの主題を多く描いており,上掲書では別なバージョンだが,ここではスコットランドの作品を挙げておく。

Jacopo Bassano (Jacopo dal Ponte) - The Adoration of the Kings

 スコットランド国立美術館所蔵

 

ヴァールブルクの著作ではどのように書かれているのだろうか?

著作集2『フレンツェ市民文化における古典世界』の第4章「フランチェスコ・サッセッティの終意処分」に書かれている。しかし,セッティスよりももうちょっと複雑な目配りがある。(セッティスの書を全部読んでいないので,曲解かもしれないが)

 取り上げた題材は,メディチ銀行の総支配人だったサッセッティが1488年に息子たちに書いた“終意処分”について。フランチェスコ・サッセッティは,ロレンツォ・イル・マニフィコに全権を委任され,周囲のものから敬意を払われ,また莫大な資産を蓄えていた人物。ところがこの“終意処分”を書いた1488年には,メディチ銀行は重大な損失をこうむり混乱の中にあった。苦境を脱するべく,サッセッティはリヨンに旅立つのだが,その前に,いわば遺言として,彼の墓所礼拝堂についての指示を息子たちに与えた。

 サッセッティについては以下のブログに書いたことがある。

 

 

「フランチェスコ・サッセッティは,いかにして石棺のダイモンの情念を中世的な世界観と協和させようとしたのか」(p149)と言う問いを設定するかたちで,ヴァールブルクは論を進めている。

「その回答は,きわめて単純に」「サッセッティ礼拝堂の祭壇装飾によって与えられている。」「古代の大理石の石棺が,幼児キリストのための馬槽として,また牛と驢馬のための飼葉桶として利用され,キリスト教会の異教に対する勝利を宣言するのに役立っているのを見いだす。」(p149)

 さらに装飾のキリスト生誕という構図が,天井に描かれた四人のシビラによって維持されているとする。シビラとはアポローンの神託を受け取る古代の巫女の事で,ティブル(ティボリ)のシビラは,オクタウィアヌス帝(アウグストゥス)にキリストの誕生を予言したという。

そしてさらに,ギルランダイオの作品の,「小屋の倒壊しそうな屋根を支えている二本の古代風の支柱は」「平和の神殿の遺構の様に見える」「この神殿は,キリスト生誕のまさに夜に崩壊することによって異教の衰退を宣言したと信じられている。」(p154

 

 

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