マルシュアスがどうも気になって,さらにいろいろ手持ちの本を読んでみた。

ジェイムズ・ホールの『西洋美術解読事典』(高階秀爾監訳,河出書房新社、1998)。この本持ってはいたが,あまり読んではいなかったのだが,アポロの項にマルシュアスの楽器について記述がある。

「マルシュアスの楽器は伝統的には二連笛だが,15~16世紀にはシュリンクス(パンの笛)やショーム(オーボエの前身)になっていたりする。いずれにせよ管楽器である点は動かない。」古典古代のルネサンスにおいては,弦楽器の落ち着いた音色は精神を高めるのに対し,管楽器の粗い音色は情念を掻き立てると感じられ,葦笛が男根の象徴であることは常識。従ってこの主題は知性と感情の対立の寓意を音楽に託したものということだそうだ。

 また皮剥ぎについては,おそらく人身御供を伴う古代フリュギアの豊饒祈願の儀式を反映して生まれたものであろうとし,「その儀式の生贄が聖なる松の下に吊るされたのであろう。」と書いている。さらに「15世紀フィレンツェの人文主義者はこの神話を寓意的に解釈し,官能的,デュオニソス的な外なる自己を脱することによってもたらされる,一種の霊的浄化を意味するとした。」(以上p37より)

 

 またネットで検索すると,さすが松岡正剛氏の千夜一夜で,ディディエ・アンジュ―の「皮膚・自己」を紹介していた。(まったく! どこの分野でも突き当たるね!)そこまで読むのは大変なので,「1501夜」から簡単にまとめると,アンジュ―はアポロンとマルシュアスの神話に,ギリシアが周辺民族を制圧したメタファーを見た。この話が牧神パーンのシュリンクス(一菅フルート)とアポロンの音楽競争に転位していった。アンジュ―の著作の眼目は,しかし音楽よりもなぜ皮膚を剥がされたのかという皮膚と自己の分析に移っていくということらしい。

 というわけで,このマルシュアスの神話は,様々に分析されている。いろいろ知識を仕入れたところで,ティツィアーノがなぜマルシュアスの絵を描いたのか,やはり気になる。

 

最後にラファエッロのマルシュアスを挙げておこう。この右端の木に吊るされたマルシュアス,今はルーブルにある古代のマルシュアスの大理石像が発想のもとだろうか。(もとはボルゲーゼにあった) 吊るされて,手足や胴体が重みで引き伸ばされている。

 Apollo and Marsyas    1509-1511 
Stanza della Segnatura ceiling Vatican

Marsyas hanging Louvre Borghese Collection; purchase, 1807

 

 

 

ティツィアーノが気になるのは,やはりこのラファエッロと比べても,残酷さが際立つからだ。何を表現したかったのか?