某新聞で,池澤夏樹が連載している『また会う日まで』を,ある理由から第1回から読み返している。古新聞をひっくり返して。

 その第1回。聖ペテロのエピソード。これは聖書にはない話と書いてあるので,調べてみると新約外典の一つ「ペトロ行伝(Acts  of Peter)」の話らしい。

 聖ペテロはローマでの布教が余りに困難なので,挫けてローマを後にしようとアッピア街道を南に歩くと,そこでばったりある人に会う。驚いたことに主イエス。その後は池澤氏から引用しよう。

 

「 思わず問うたー

『主よ、いずこへ行きたまう?』 

『お前がローマを見捨てるのなら,私はローマに行ってもう一度十字架に架かろう』

 ペテロはローマへ引き返した。」 (省略)「それならばわたしも自分の過去へ引き返そう。わたしの十字架を探そう。」

  (「また会う日まで」池澤夏樹 2020年朝日新聞、8月1日紙面)

 

この場面を誰かが描いているだろうと探すと,アンニバーレ・カラッチ。またしてもロンドンのナショナルギャラリーが所蔵。

Christ appearing to Saint Peter on the Appian Way (Domine, Quo Vadis?)

Annibale Carracci,  1601−2 77.4 x 56.3 cm

 Copyright © 2016–2020 The National Gallery

 

堂々たる体格のキリストが、十字架を背負って! ローマを目指し,それを見たペテロは,仰天している。ペテロの頭の上の方の光は夜明けの光。HPの解説だと、ミケランジェロのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会のキリストの彫刻とラファエロのカルトンの影響があるとか。

Christ's Charge to Peter 1515 ヴィクトリア アンド アルバート美術館

カラッチの絵はキリストが迫力あり過ぎ、筋肉もりもり。確かにミケランジェロ風かもしれないが,全体から受ける印象が違いすぎる。カラッチの作品は人間らしくて良いかもしれないが崇高さがない。ミケランジェロのキリストは,一人で十字架に寄り添っている。孤独をも感じる。
 ラファエッロのカルトンは場面が違うが,鍵を与えると言うテーマの意味を考えるとこちらの方が近そう。

 池澤夏樹の小説は,掴みがうまい。聖書ではないが、ペテロのエピソードを持ってくるとは。自分の親戚にあたる人がモデルで,軍人であり海図を作っていたと言う人物が主人公。時代的にも読むのが楽しみ。自分の十字架って何だろう。

 ペテロはこの後ローマで殉教、その墓の上に建てられたのがサンピエトロ大聖堂。この出会いが無ければ,ローマにサンピエトロも無かったはず。