山登りと風景の発見の関係についてはブルクハルトが「イタリア・ルネサンスの文化」で述べている。

 広々とした展望をしてみたいという気持ちのために,ペトラルカは自分の弟一人を伴ってアヴィニョンの近くのヴァントゥー山に登った。1336年4月26日,友人に宛てた手紙によりその記録が残っている。最後の休息所を出発して山に差しかかかった時,一人の老人があらわれて「自分も50年前に同じことを試みて,後悔と疲労困憊した身体と衣服のほかは,何も持ち帰らなかったが,それ以外にはあとにもさきにも一人としてあえてこの道を登った者はないのだからと言って,かれらにも引き返すようにしきりにすすめた。」大変な苦労をして登るのだが,その結果と言えば,苦いものだった。「詩人の心にはあらゆる愚行にみちた自分の過去の生活がまざまざと思い浮かぶ。自分が若くしてボローニャを出て以来,はや十年が過ぎていることを思い出し,イタリアの方角にあこがれの目を向ける。」そして彼は常に持ち歩いていたアウグスティヌスの『告白』を開く。するとそこには人々が高い山々と広い潮力づよくざわめく流れと大洋にと天体の運行に感嘆して,われを忘れる。」という一節があり,ペトラルカは本を閉じて沈黙してしまうのだ。(ブルクハルト,「イタリア・ルネサンスの文化」中央公論社,p344)

 

 この後,15世紀フランドルのファン・エイク兄弟に触れている。「彼らの風景画はたんに現実の仮象を作り出そうとするかれらの一般的な思考の帰結であるばかりでなく,たとえ捕らわれた形においてであるにしても,すでに一種の独立的な詩的内容を,一つのたましいをもっている。それが全ヨーロッパ芸術に与えた影響は否定すべくもない。そしてイタリアの風景画もそれから影響を受けずにはいなかった。」

 

 しかし,「教養あるイタリア人の目の風景に対する独自の関心は,それ自身の道を進んでいく」として,ブルクハルトが提示するのは,アエネアス・シルヴィアス,教皇となったピウス二世(在位1458-64)が風景の素晴らしさをこまごまと描写したこと。彼の風景への耽溺。

 

 風景を見ることに耽溺すること,風景を見て己の罪深さを感じること,そこには開きがあるようだが,ペトラルカは地元の老人が口を極めて押し留めようとするのに抗して2000メートル近い山を登り,その結果自分と向き合ったのだ。ペトラルカの評価は難しいと思うが,ブルクハルトが言うように「最初の完全な近代人の一人ペトラルカは,風景が感受性に富むたましいに対して有する意義を,あますところなく、きわめて決定的に証拠立ている。」(p342)と言う見方の方がしっくりくる。

Francesco Petrarca,Andrea del Castgno, circa 1450  fresco on wood
 247 cm ×153 cm Uffizi Museum
 

 風景については視覚芸術だけで語れないところが難しさの原因か。