アラトスの後はヘレニズム時代からスキファノイアまで。

 紀元後1世紀頃,小アジアのテウクロスによって表された『異邦の天球』という著作がある。(これを復元しようとしたのが,ヴァールブルクの友人でハイデルベルク大学の古典学の教授だったフランツ・ボルの『天球』(1903)。この著作が,スキファノイア宮のフレスコ画を解読する鍵を見出すきっかけとなった。)

 『異邦の天球は,エジプト,バビロニア,小アジアの星辰名によって恒星の名前を補充したもので,その数はアラトスのカタログのほぼ3倍にあたる。そしてボルは『異邦の天球』が,ヨーロッパから東方へ,そして再び東方からヨーロッパへと至る仮想の行程を再構成した。その最後が14世紀パドヴァのピエトロ・ダーバノ。1488年に著作『平面天球図』がアウグスブルクで刊行されている,中世占星術最大の権威者であるアブー・マアシャルの『大序説』はテオクロスの流れを汲むもの。

 複雑なので→にしてみた。

 小アジアのテオクロス→エジプト→インド→ペルシア→バグダッドのアブー・マーシャル(8世紀)→スペインでヘブライ語に翻訳(12世紀)→フランス語訳(13世紀)→ダーバノのラテン語版(1293年),『平面天球図』 

 

解題からデカンという概念について書く。 

デカン: 古代エジプト天文学:日の出前に東の空に順次10日間ずつ見える36の星座のこと。プトレマイオス朝の時代;黄道十二宮の円を10度ずつ分割する領域。つまり黄道十二宮の一つを三等分する領域。マリニウス(紀元後1世紀のローマの詩人アストロノミカと言う著作あり)はデカンに黄道十二宮を割り当てたが,彼以降は七つの惑星が割り当てられる。

プロソポン:「顔」を意味する。デカンの神を表象する,あるいは象徴する形姿。

 

さてここまで解題を見たところで,ヴァールブルクに戻ろう。ヴァールブルクはこの道行の最後,平面天球図から話を始める。下方には,鎌と石弓を持った人物がいるが,これを彼はペルセウスとする。ライデン・アラテアの古代風のペルセウスをみれば,この図の新月刀とターバンが,ペルセウスの剣とピュリギア帽を忠実に保存していることが明らかだろうと。

しかしながら解題では,このヴァールブルクの結論は誤りだという。ペルセウスでなく,マルスである。そしてヴァールブルクがペルセウスに固執したのは,自分をペルセウスに重ね合わせたためではないかと言う憶測。(p288)

 それはそれとして,ペルセウスでもマルスでも良いのだが,ヴァールブルクは,コッサの描いた一人の男の姿に,長い旅路を経てきた図像のその果てを見たのだ。アブー・マアシャルを引用して,「インド人の言うところによれば,このデカンでは,赤い目を持ち,背が高く,勇敢さに秀で,感情を露わにした黒い男が立っている。彼はゆったりとした白い服を着ており,その中ほどに一本のひもが巻き付いている。彼は怒り,真っ直ぐに立ち,監視し凝視している。」そして「三月のフレスコ画の中間領域にいる最初の人物は,その仮面を脱いだのです。この黒い、怒った男はまっすぐ立って凝視し,衣服に巻き付いた紐の端をしっかりとつかんでいます。」(p62)

このデカンの根拠となる文章を読んだときに感じたヴァールブルグの興奮が伝わってくるようである。