ヴァールブルク著作集5の第1章(ありな書房) 「デューラーとイタリア的古代」は,1905年にハンブルグで行われた講演がもとである。ここでは,デューラーの「オルぺウスの死」と北イタリアの作者不詳の銅版画の二点を題材に論を述べている。テーマは古代世界が初期ルネサンスの様式発展に与えた二つの影響。

オルペウスの死 ペンとインク, 1494 (Kunsthalle, ハンブルク)

オルペウスの死 1470年頃

ヴァールブルクはこの画像から,イタリアの芸術家たちが古代から「古典的な理想化傾向ばかりでなく,情緒的に高揚した身振りを表現するための手本」を探し求めていたというのである。例えばこのような壺絵から。

オルペウスの死 ルーブル美術館

 さてこの3点だが,まずマイナスの攻撃に対してオルぺウスが肘のところで曲げながら片手を上げて防ごうとしている点は同じ。デューラー の素描と銅版画はマイナス二人の身振りとオルぺウスの身振り位置関係までほぼ同じである。大きな違いは背景。銅版画では岩山の上に城塞都市が描かれているのに対し,デューラー の素描では樹木が生い茂っている。とは言えヴァールブルクが強調するのはここでは違いよりもその同一性,「古代の芸術に特有のこの大げさな身振り言語」がこの二点に流れこんでいること。また同じ頃,ヘラクレスと呼ばれる銅版画がある。

Hercules at the Crossroad 1498ごろ

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/391058

 

これは「嫉妬」と言う呼び方の方がふさわしいとヴァールブルクは言う。つまりこれは神話というより気質というものを古代風に描いた絵であるから。

 数年経つとデューラーはこのような大袈裟な身振り言語から離れて行く。

1503年ごろ ネメシス(大きな幸運の女神)

 ここでの古代のつながりはウィトルウィウス的人体比例で,全身長と頭部は8対1,顔と身長は10対1のように計算されている。そしてこの魅力的な背景だが,最初にヴェネツィア旅行に行った時に製作された(現存していない)素描に基づいている。場所は南ティロル,イザルコ渓谷である。(以上はDURER ペーター・シュトリーダー,1996 中央公論社による。P216)

 

 この絵はアルプスの南と北を通過して多くの人や物や文化が行き渡ったうちの一つの大きな実りだろう。そしてオルペウスでも《ヘラクレス》でも中央に生い茂る木を描いてしまうのが独自性でもある。このふてぶてしい女神は,デューラーそのものと言う気もする。イタリアとドイツを行き来したヴァールブルクにとっても,デューラーは極めて重要な画家に違いない。