ヴァールブルク 著作集4『 フィレンツェの祝祭的生における古代と近代』“第5章 1589年の幕間劇のための舞台衣装”を読む。

1589年にフィレンツェのトスカーナ大公フェルディナント一世は,フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスの孫娘クリスティーヌ・ド・ロレーヌを妻に迎える。その際ありとあらゆる祝典が行われたという。その時行われた幕間劇のための素描をベルナルド・ブオンタレンティが描いていて,それがフィレンツェに残っていた。ブオンタレンティはメディチ家三代の大公に仕え,宮殿別荘,ボーボリ庭園などの建築家として知られたが,さらに祝祭の演出家としても活躍した。

 ヴァールブルクによれば,この幕間劇は全体として音楽の力についての古代趣味のパントマイムであり,プラトンが「国家」に書いたことをかなり忠実に視覚化している。

この素描は,3人の運命の女神を連れた必然の女神アナンケ(ローマではネケシタス)を描いている。

 

 

プラトンの『国家』では次のように書かれている。あの世に旅立った魂が見てきたこととして語られているのだが

 「旅立って4日目,彼らはある一つの地点に到達したが,そこからは,上方から天と地との全体を貫いて延びている柱のようにまっすぐな光が見えた。」「光はまさしく天空を縛る綱であった」「その端からはアナンケの女神の紡錘が伸びているのが見られ,それによってすべての天球が回転するようになっていた。」「紡錘は,アナンケの女神の膝の中で回転している。その一つ一つの円の上にはセイレンが一人ずつ乗っていて」「全部が八つのこれらの声は,互いに協和しあって,単一の音階を構成している」「ほかに3人の女神が,等しい間隔をおいて輪になり,それぞれが王座に腰をおろしていた。すなわちアナンケの女神の娘,モイラ(運命の女神)たちであって,白衣をまとい,頭には花冠を戴いている。その名はラケシス,クロト,アトロポス。セイレンたちの音楽に合わせて,ラケシスは過ぎ去ったことを,クロトは現在のことを,アトロポスは未来のことを歌に歌っていた。そしてクロトは,ときどき紡錘の外側の輪に右の手をかけて,その回転をたすけ,アトロポスも同じようにして,内側の輪に左手をかけて,その回転をたすけている。ラケシスは,左右それぞれの手でそれぞれの輪に交互に触れていた」(プラトン『国家』中央公論社P393-396)。この叙述に従えば,最上部の女神がアナンケ,両手を掛けているのがラケシスで,この絵で言うと右側で左手を掛けているのがアトロポス,絵の左側で右手を掛けているのがクロトと言うことになる。まさに忠実な視覚化である。そして実際の劇ではセイレン役や女神役の音楽家たちが楽器に合わせて,この素描のような衣装を着て歌ったのである。歌詞も当時の詩人が場にふさわしいものを作った。さらに当時の音楽サークルの中心だったジョバンニ・バルディ伯爵は,この思想を,プラトンが最も卓越したものとみなしたドーリア和声と結びつけ,初めにドーリアの擬人像を登場させた。

 

さてこの一大プロジェクトだがヴァールブルクは次のような懸念を挟む。「ところでバルディは,いわば誇張され飾り立てられた象徴主義という手段のおかげで,繊細に考案された構想の意味が,少なくとも古典的な観念に通じた一部の観客には理解されうるものになると期待することができたのだろうか。」(同書P122) プラトンが『国家』を書いたのは紀元前4,5世紀だからほぼ2000年前の古代思想を当代きっての知識人たちが視覚化したわけだが,その意図はどれだけ理解されたのか? ヴァ―ルブルクは,私には苦しい言い訳に思えてしまうのだが,その価値は心理的なものにあると言っているようだ。それは踊り歌い揺らめくニンフの衣装の襞やフリルであったり風になびく髪に心揺れるということであったのだろうか。。

 ところでこの運命の三女神になぜ興味を持ったのかと言えば,最近それを絵にしたいという人の話を聞いたことを思い出したからである。その運命の三女神は,プラトンの書く女神とはまた少し役割が違うので日を改めて描こうと思う。