ヴィチェンツァの展覧会で,もう一点記憶に残ったのが,クリヴェッリの作品である。Madonna della Passione 訳せば受難の聖母であろうか。

71×48  cm    1460ごろ ヴェローナ カステルヴェッキオ美術館

大きな絵ではない。バシリカの広大な空間で見るとさらに小さい感じ。これは板にテンペラで描かれているが,その板がかなり反り返っているのが,肉眼でもよく見えた。しかしその状態でも500年以上前の絵なのに,かなり色彩が良く残っていることにまず驚く。紙に印刷された物を見ただけでは分からない物としての存在を強く感じた。画集やPCで見る画像では絵が描かれているのが紙なのか,キャンバスなのか,板なのか意識することは無いが。絵は第一に物質であること,その中に画家が一つの世界を作り上げることの不思議を改めて感じた。

 クリヴェッリという画家について,全く知らなかったわけではない。澁澤龍彦が妖艶なマリア・マグダレーナについて書いている。しかし実物を見たのも初めてではないかもしれないが,印象に残っているのはこれが初めて。少し首をかしげ伏し目がちなマリアの顔が聖性というのとは違うものを感じる。ベールやドレスの凝った模様。頭に載せた小さな真珠の冠などとても洗練されてファッショナブルなどと言った場違いな単語が浮かぶ。その一方低い壁に立つイエスやほかの天使の顔は,小さな大人の顔で,子どもとして描いてはいない。当時は普通だっただろうが,現在の感覚からすると違和感がある。またラファエロなどの見慣れた聖母子像に比べると,いろいろな物が詰め込まれていて,しかもそれが魅力的。まず頭上の果物の飾り(これにも名前があった失念したので)がいかにも美味しそう。クリヴェッリの絵にはかなりの確率でこれが出てくる。彼の独創というわけではないが。そして十字架やらペテロの鶏やらぎっしり詰め込まれた意味あるものが,しつこいぐらいに細密に描かれる。これを見てクリヴェッリはとても好きな画家となった。レンブラントが好きかと問われれば,凄いと思うけれど,うーんと首をかしげるが,クリヴェッリは好きである。もっとも全てではないが。実はとりわけ好きな絵が3月に東京に来るので非常にワクワクしている。次回にその話をしたい。