これが表紙の絵である。

ここでも男性の存在感が薄く,女性は画面の外へと視線を送っている。肩や胸が露わなので官能的な関係であることは確かだが。

 

このルクレティア の凌辱の絵を見て何を感じるだろうか? 描かれた当時から,つい最近まで,「ルクレティア は誘惑している」という言説があったという。短剣で男が脅し,女性の眼からは大粒の涙が流れているにもかかわらず。誘惑した女性にも罪があるという類の言説。それを美術批評家が堂々と書いているというのだから私にとっては驚きだが。もちろんゴッフェンは,それを断罪しているのだが。あまりに暴力的だし官能的でもある。こういう場面はティツィアーノに限らず数多く描かれてきた。しかし当時はともかく.現代でも「誘惑説」があるということは,案外人間は変わっていないのだなと悲観的にもなる。