こうやってじっくり考えたのは初めてです

16年前、、、
私は何を思い何を感じていたんやろう

阪神淡路大震災から16年! あの日、岡宗秀吾が体験した話

このお話(めっちゃ長いですけど)聞いて
当時感じたこと、覚えていること、いろいろ掘り起こしました

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机で眠ってたところ
突然本が降ってきました

1階に行くと
リビングは足の踏み場もないくらいめちゃくちゃ

電気の傘も棚の上に並べてたワインも全部落ちてしまって
ピアノの上に置いてためちゃめちゃ重たい時計も落ちて
ピアノにものすごい大きな傷がつきました

電車は全部止まってしまって学校に行けない
大震災だと知ったのはずいぶん後のことでした

数日後学校に行くと
教室の窓ガラスがすべて割れてしまって
表裏が金色と銀色のセロファンみたいなのでカバーされてました

友達の学校は廊下が割れてしまって
そこから下の階がみえるくらいになってたと聞きました

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鮮明に覚えているのは英語グラマーのT先生の実話
学校に来られたときには右腕を包帯でぐるぐる巻きにされてました

当時「神戸市灘区」に住んでいたT先生の家は全壊
いつもは地震があった時間には起きて朝ごはんを作ってるのに
その日だけはまだお布団の中に居たそうです

(ココから先は「私=T先生」です)

突然の揺れ

気付いたときは天井が顔面すれすれの位置にあって
両サイドに置いていた家具がたまたま倒れて運良く天井を支えてくれて
私は家具と天井の隙間で助かったんです

いつもどおりに起きていたら100%死んでいました
台所で火を使っていたから火事になっていたかもしれません
そのとき布団で横になっていたから助かったんです
後数分遅かったら私は確実に死んでいました

運良く天井がズレて落ちてくれたから
頭の上に人が通れるくらいの隙間ができていて
そこから自力で脱出することができました

一緒に暮らしている母親も無事でしたが
素直に喜べませんでした

外に出ると辺りは一変し
そこらじゅうからうめき声が聞こえてくるのです

「助けてー」

そう叫んでる人がたくさんいました
私は自分のことで精一杯で手を貸してやることができませんでした
たくさんの人を見殺しにしながらその場を過ぎ去るのは
本当に心が痛くて辛かった

(、、、忘れたので中略、、、)

避難所で数日過ごしましたが
3日ぶりにお風呂に入れたときは本当に嬉しかった
こんなに有難いなんて初めて知りました

+++++(T先生のお話はココまで)

当時、私は新聞トップページに記載される死亡者数を
毎日ノートに記録してました

5000人を超えたとき
まだ増えるのか!!!
戦争でもないのに、こんなに豊かな国なのに、
一瞬にしてこんなたくさんの命が消えるのか!!!
そう思いました

電車で1時間もかからないところで
こんなに大変な出来事が起きたのに
自宅周辺はすぐに何事もなかったかのように元に戻り
私はそんなことをすぐに忘れてしまいました

別世界のできごとのようにさえ感じられて
深く考えることもしませんでした

阪神淡路大震災から16年! あの日、岡宗秀吾が体験した話

これを聞いて当時のことを思い出しました
表に出てない出来事っていっぱいあるんですね
人間らしくて良いお話がたっぷり盛り込まれてますよ~♪
長いのでお暇な人は聞いてみてください!!!