僕がまだ小学校低学年(昭和30年代)の頃、近くの公園での光景を今でも覚えています。


当時は何をしているか分かりませんでしたが、音楽を流して男女が組んで踊っていました。


今思えばそれが社交ダンスだったんだと思いました。

そう、ちょっと前の中国の広場での社交ダンスと同じ光景です。


また岡崎市には戦前からのダンスホールが戦争で焼けなかった双竜というダンスホールがありました。
僕が20代の頃に数回、その双竜に行ったことがあります。

昭和初期の建物でミシミシ音がする階段を登ると、黒光りしたホールがありました。
ダンサーは年の多いお婆さんでしたが、僕らは相手を連れて行きましたので頼まずに踊ってました。


僕が社交ダンスを始めたのは18歳、その数年前に競技会にラテンは種目が追加された時代です。

当時のラテンはA級〜C級までしかありませんでした。

ノービスで1割以内にはいれば直ぐにC級になれました。

その頃の男性のラテンの衣装はキャットスーツという伸縮性のあるつなぎ服で、オーダーメードで確か10万円位しました。
燕尾服がフルオーダーメードで20万円くらいでした。

今の時代も同じく女性が多くて男性天国でした。
年齢層は殆どか10代20代でした。

競技会のパートナー解消しても、直ぐに同じ教室内で相手を見つけることが出来た時代です。