今は、希望する数名にしか紙版の会報を送付してはいないのだが、
「例会報告」と「エッセイ」はホームページに載せている。
今月の例会報告には、親の会で頻繁に話し合われるフレーズについて書かれていたのでコピペします。
子供の不登校を語る際によく使われる二つの言葉について考える良い機会だったと思います。
一つは親の不安を端的に表す「先が見えない」という言葉で、
今一つはそれと対をなすような「信じて待つ」という言葉です。
この言葉は、多分どの親の会でも毎回のように語られているでしょう。
初めて参加する人は、「学校に行かなくては、この子の将来はどうなるのだろうか」と思っているでしょうし、
不登校期間がしばらく経過した人でも、「いつまでこの状態が続くのか」と未来が見えないでしょう。
冷静に考えたら、未来というものは誰にとっても未知の領域であり、先が見えないのは当たり前なのですが、
現在の状態にあまり心配のない時には、何となく現在の日々が明い未来がつながっているように感じているものです。
それが、「学校に行かなくなった、行けなくなった」時から、未来への道が閉ざされたように感じてしまう。
長く親の会の世話人などをしてると、あれほどどうなることかと案じていた子ども達が、
安心できる居場所をみつけて自分が好きなことを発見できたら、
元気になって自分らしい歩みを始めることをたくさん見ているので、
「大丈夫ですよ。元気になったら必ず動き出すから、それを信じて待ちましょう」というのが常です。
そして、お母さんやお父さんの話す様子や言葉を聞き、お子さんの様子をお聞きすると、
「お子さんはちゃんと育っているし、学校に行ってなくたって子どもは必ず成長しているのですよ」とも話します。
それでも、不安と焦りで一杯の人には
「他のお子さんはそうだったかもしれないけれど、うちの子がそうだとは限らない」
なんて思ってしまうかもしれません。
その思いに寄り添わなくてはならないのですが、つい簡単に
「大丈夫ですよ。もっとお子さんを信じましょう」なんてい言ってしまっていたことが何度もあるように思います。
そのたびに、「またやってしまった。そんなに簡単に信じることが難しいから葛藤されているのに」と
何度反省したかわかりません。
そんなことを思い出しながらエッセイを拝見したら、過去の自分を励ましてくれる言葉が書かれていました。
私はいつも心の中が真っ暗で、
子供を責めてしまう心が苦しくて苦しくて
それを全部言葉にして吐き出させてもらいました。
未来の会の皆さんは、いつでも娘のこれからを信じてくれていました。
いつでも「娘さんは大丈夫」と。
未来の会の皆さんから「娘を信じて待つ」という事を教えてもらいました。
今年の春、娘は高校生になりました。
「娘さんは大丈夫」と信じ続けてくれて本当にありがとう。
その場に私はいませんでしたが、エッセイを通して例会の皆さんの様子が手に取るように想像できました。
今もきっと、ベテラン世話人やお当番の人は、「大丈夫、何とかなるから」と
不登校の親初心者の人を励ましているでしょう。
それでも先が見えない不安顔の人に、「こんな言葉でしか励ませないのか」と反省していたりするでしょう。
誰でも未来への不安があるのは当たり前。
それでも、対象が子どもの未来なら、私は断言できます。
家庭が安心できて、家族と一緒に笑いあえる時間が持てるようになれば、お子さんは何とかなってゆく。
注意しなくてはならないのが子どもを追いつめないことで、それによって親子関係をこじらせないようにすること。
こじらせたとしても、親が子どもの気持ちと体を大切に思っているなら必ず修復はできますけど
ちょっと時間がかるかもしれませんね。
多くの場合、学校に行きづらくなるお子さんは繊細で個性的で、かつ優しく真面目な子が多いように感じます。
「繊細で個性的で優しく真面目」だなんて、本当に素晴らしい気質ではありませんか。
残念ながら現代は、そのことで傷つくことも多いようですが、人間社会は捨てたものではないですよ。
そのことも信じていきたいですね。
色々なことを再確認させてくださった夜の例会のKさん、エッセイを書いてくださったS.Sさん、
ありがとうございました。