今月の会報に寄せられたのは、T.Aさんの

「世間や学校に惑わされないように、自分軸を持ちたい母」

 

「自分の軸」という言葉を耳にした時、どのようなことをイメージするだろう。

私自身はあまり使っていなかった言葉だったので、改めて考えてしまった。

「軸」というのだから、自分の背骨と言うか、

周囲の影響を過度に受けずに考えや行動をコントロールできる力とでもいうのだろうか。

つまりは、自分なりの信念や道徳観、自分なりの善悪の判断基準のようなものだろう。

「ママは俺の気持ちをわかってない!」と書いているように、

「世間や学校の常識に振り回されない自分」を支え、子どもの思いに寄り添えるのが「自分軸」ということか。

本当に大切なことだと思うけれど、これを持つことは簡単なようで難しいことだとも思う。

 

人間が生まれてからが育つ過程で、善悪や価値観は周囲の大人、特に親や家族、保育園や幼稚園、

学齢になると学校教育の影響を強く受けて、常識や善悪、道徳観を身につけて行く。

日本であれはそれが「世間の影響を強く受ける」ということだ。

私は仕事や育児を通して、乳幼児から思春期の子ども達の育つ様子を見聞きすることが多かった。

特にわが子の育児では、出産直後から正反対のような個性を持つ子を育てたので、

子どもには胎児のときから異なる個性の種があると思っている。

周囲の刺激に過敏な子と、あまりそれには動じないマイペースな子を一緒に育てたらその違いはわかりやすい。

しかし現代は少子化で一人っ子も多いし、似たようなタイプの子を育てていると個性の多様性はわかりにくいかもしれない。

親はまず、それまで培った知識や経験、自分の良いと思うことを軸に子育てするのだが、

早い時期に自分の考えている子ども像とわが子が違って葛藤する時、

「自分とこの子は違う個性を持つ人間だ」と気が付けばよいが、

気付きにくい時はそのままこれで良しと子育てしてゆくのは当たり前のことだ。

 

その時点で、意識するかどうかは別として、親子の「自分軸」が影響を受けあい成長しているのだと思う。

本当はしっかりした自分軸を大人になるまでに確立できたら良いのかもしれないが、

その軸があまりにも固い時はそれも困りもの。

できれば柔軟に揺れ戻しができる軸の方がいいと思ったりもする。

未来の会などで出会った多くのお母さんやお父さんの顔を思い浮かべる時、

柔軟な柳のような軸を持つ人と、なかなか頑固で固い木のような軸の人がいたなと思う。

どちらが良い悪いではなく、それがその人の個性なのだろう。

当然、そのお子さんにも様々な軸が育ちつつある。

「学校に行かない」という今までの常識を壊してくれたお子さんは、

自分自身の「善悪、好悪、道徳観」が明確なタイプが多いような気がする。

 

T.Aさんの息子さんは「ママは俺の気持ちをわかってない!」とはっきり言える子だ。

「将来不安じゃない?」と聞いたお母さんに、

「は?不登校の人数が増え続けて(登校人数より)逆転したら、次はあっちがオレおかしいのか?と悩むんだろ?オレはオレ!」

と、自分の考えをキチンと伝えられる。

私などはその言葉を目にして、「あんたはエライ! 自分の人生しっかり歩けるよ!」と拍手喝采だ。

そんな息子さんの言葉に、

「大切な我が子、登校したくない息子の気持ちに寄り添えずスイマセンだわ!と思ったら自分に悔しくなった」と思ったT.Aさんも立派。

これからのお二人の自分軸はどのくらいたくましくなるのか、楽しみにしています。