「不登校新聞」の下記の記事を見つけましたので転載します。

この記事の市川明さんは、親の会に父親の参加が少ないことから、「ぼちぼち・ちちの会」

を立ち上げたそうです。

実は、未来の会の夜の例会も、お父さんたちが参加しやすいようにと、ベテランのお父さんに世話人をお願いして始めたという経緯があります。

わが子の不登校で悩まない父親はいないのですが、いまだに親の会の参加はお母さんたちが中心です。

ぜひ、未来の会の夜の例会には、お父さんたちにも参加してほしいと願っています。

まさかわが子が不登校になるとは。不登校の子を持つ父の葛藤と心境

 家族が不登校で困っているとき、父親としてどのように関わればよいか。子どものようすを横目で見ながら、そんな悩みを抱いている父親の方、じつは多いのではないでしょうか。
父親どうしで不登校について話し合える場をつくりたい、という思いから「ぼちぼち・ちちの会」を立ち上げた市川明さんにインタビューをしました。市川さんも息子の不登校に悩んだ父親のひとり。「ぼちぼち・ちちの会」を立ち上げた経緯や、父親ならではの葛藤、心境の変化について語っていただきました。

* * *

――なぜ、父親向けの親の会を始められたんですか?

 不登校のわが子が安心して家ですごすためには、父親の協力も不可欠だと思うからです。しかし、残念ながら一般的に父親はふだん仕事で家を離れることが多いですから、子どもの状況が見えない分、理解するのに苦労します。本当はどうにかしてあげたいと思っていても、父親目線で不登校について共有したり理解したりできる場って、現状として非常にすくないんです。

父親の存在 どこにもない
 実際に不登校関連のイベントや親の会に参加すると、ほとんどの場合が母親なんですね。どうしても母親のほうが子どもと接する機会が多いですから、母親どうしがつながり、支え合う場は必要だと思います。ただ、そうなると父親は肩身が狭いというか、参加するのも勇気がいるんですね。親の会に慣れている僕でさえ、まわりに1人も父親が居ないと、シュンとしますから(笑)。ハードルが高いのも無理ないな、と。だから父親どうしで話す場があってもいいのかな、とはずっと思っていたんです。

 そんなとき、多様な学びプロジェクト代表の生駒知里さんにお声がけいただいて、「じゃあやってみようか」と企画を立ち上げることになりました。そして誕生したのが、「ぼちぼち・ちちの会」。なぜこの名前にしたかというと、不登校といったセンシティブなテーマだと、父親って「否定されるのではないか」と身構えてしまって、参加するのを躊躇しがちだと思うんです。そうではなくて、肩の力を抜いて「ぼちぼちいきましょうよ」、と。そういう思いから名付けました。

 これまでに計6回オンライン開催しましたが、若い父親をはじめ、不登校関係の支援者など、さまざまな人が参加してくださっています。なかには父親目線を知りたいという母親など、女性の参加もちらほら。いろんな視点から情報や意見など共有できて、たいへんありがたいです。


――市川さんの息子さんも不登校経験をされたそうですね。どのような経緯で不登校になられたのですか?

 中学2年生の夏休み明けに、不登校になりました。もともと中学1年の秋から体調不良を理由に早退することがたびたびあって、どうしたものかと妻に尋ねたら、クラスメイトからいじめられていたことがわかったんです。僕としてもなんとかしなければと思って、学校に相談するなど、できるかぎりの対応をしました。当時は原因を取りのぞけば、また元通り学校へ通えると思っていたんです。

 しかし、中学2年生になっても、息子のようすは変わらず、週に1回、2回は早退や欠席のくり返し。それでも通いはするから大丈夫だろうと思っていたのですが、結局、夏休み明けには完全に学校へ行かなくなりました。

学校復帰 その一心で


――そのときの心境はいかがでしたか?

 まさか自分の子が、と思いました。僕自身その時点では学校へ行くことが「ふつう」であると信じていましたから、とにかく学校復帰させなければ、というので頭がいっぱいでした。

 最初は息子に対しても「なんで学校へ行かないんだよ」「いじめなら俺が相談に行ってやる」と話しかけていました。僕としては問題を解決したくて話しかけているつもりだったのですが、息子にとっては圧力でしかなかったんですね。しだいに息子は僕のことを避けるようになりました。僕が家に居るあいだ、息子は自室にこもりっぱなし。僕が外出したら、リビングに出てきて食事をとるような生活が2カ月続きました。

 僕もイヤがられていることはだんだんわかってきたので、あまり話しかけないように対応を変えました。とはいえ息子のことは心配なわけですから、代わりに不登校について自分で情報収集を始めたんです。調べていくうちに、どうやら不登校はめずらしいことでもなく、そこまで深刻に考えなくてもよい、ということはわかってきました。じゃあ、不登校のことを理解できたかというと、まったくそんなことはなく(笑)。本当の意味で受けいれるまでには、時間を要しました。

――何が壁となったのでしょうか。

 これは父親あるあるなんですけど、外に出て仕事をする立場もあって、「はたして社会で通用するのか」という視点でどうしても考えてしまうんです。社会で生きていくためには、ある程度の学力とコミュニケーション力が必要不可欠だと言われているのに、不登校のままで大丈夫なのか、と。そこを起点に考えるから、できることならば学校へ行ってほしいという気持ちに戻ってしまうんです。もちろん母親も将来に関して心配するのは同じだと思います。でも、傾向としては、父親のほうが心配の度合いは強い印象があります。実際、わが家もそうでした。

――それでも不登校を受けいれたのには、きっかけがあったのでしょうか。

 不登校をしてからまもなくの出来事でした。先行きの見えない息子に焦りを感じた僕は、「このままだと社会に出て生きていけないぞ」と言い放ったんです。それに対して息子はうつろな目をして、僕にこう言いました。「僕はなぜ生きているの」、「生きていて意味はあるの」、と。これにはショックを受けました。息子のためを思って学校へ行かせようとしていたことが、結果として、生きる意味を見失わせるほど追い詰めていたのだ、と。今、目の前にいる息子を全否定していたことに、そのとき僕は初めて気がついたんです。

わが家を安心できる場に
 「これはまずいことになった」と思い、早急に妻と話し合いを行ないました。そのなかで導き出した答えは、大切なのは「息子自身が安心して自分の人生を歩めること」。そして、そのために親ができることは、「わが家を安心できる場所にする」という結論でした。それからは息子が心も身体も休めてすごせるよう、とにかく今の状況を受けいれることにしました。当時は部屋にこもってパソコンやゲームに熱中していましたし、昼夜逆転することもザラにありました。でも、あえて制限や縛りはつくらず、本人を信頼して自由に任せることにしたんです。
 
――その後は?

 一方で居場所や進路先など安心材料は探しておきたい、という親心はどうしてもあったので、情報収集は継続していました。そのなかで見つけたのが、近所のフリースクールでした。当時から息子はパソコンに強い関心を持っていたのですが、そこのスタッフのなかにはパソコンに詳しい方がいらっしゃったんですね。試しに妻が聞いてみたら「そこだったらいいよ」と返事が返ってきたので通うことになりました。もしかしたら息子に空気を読ませて無理させたかな、とも思うのですが、さいわい、相性はよかったようです。

「学校行かない」みずから宣言
 フリースクールでは息子のやりたいことに合わせて、自作パソコンづくりを提案してくれました。自分の好きなことを受けいれてくれたのが、本人もうれしかったのでしょう。がぜんやる気が出たようで、スタッフの協力を得ながら、部品の調達から組み立てまで、すべてやり通しました。この出来事が息子にとっては自己肯定につながったのだと思います。
 
 中学3年生に上がったころ、先生や友人からの働きかけもあったのですが、みずから「行かない」と宣言しました。代わりに自分なりに将来のことは考えたようで、「パソコンを使う仕事に携わりたいから高校へ進学する」と言ってきたんです。これは腹を括っているな、と思いました。すでに不登校でも通える進路先はこちらも用意してはいたので、いくつか見学した末、通信制高校に入学しました。

 息子にとっては、パソコンが何よりの原動力だったんですね。その後皆勤賞をはたし、卒業しました。現在は専門学校に進学して、自分の夢に向かってひたむきにがんばっています。

 そんなふうに、息子が自分の人生を歩めるようになったのはうれしいことですが、僕らのスタンスはこれからも変わりません。もし息苦しくなったときには、いつでも戻って来られるような家であり続けたい。僕らが生きているかぎりは、そうしようと思っています。

――不登校で悩む父親に向けて、メッセージはありますか。

 まずは自分の考えを隅に置いといて、子どもに人生を委ねる勇気を持ってほしい、と伝えたいです。多くの父親は子どもに自分の生き方をそのまま継承させたい欲が、どこかにあると思うんです。自分が経験してきたことを根拠に、わが子に教え、育てたいという要求です。逆に自分が経験していないことは「やってみろよ」となかなか言えません。


子どもの人生 本人に任せる
 でも、それって子どものためになるのでしょうか。 不登校の経験をして僕が学んだことは、子どもは学校へ行こうが行くまいが、ひとりの人間であることに変わりはなく、自分の人生を歩んでいける力を持っているということです。だから、わが子というだけで充分に信用してあげるだけの価値があると思って、あとは本人に人生を任せる。何か困ったときには手伝ってあげる。結局そこに尽きるのかな、と。

 それに不登校になることを受けいれる期間が短ければ短いほど、家族全員が不登校で苦しまなくてすみます。だから父親のみなさんには、できるだけ早く、不登校を受けいれてあげてほしい。そのためにも、「ぼちぼち・ちちの会」では、父親のみなさんをサポートできる場にしたいと考えています。ときには家庭内で空まわりして浮きがちなこともあるけど、それでも父親だからこそ、できることだってあるはず。みんなで思いをわかち合いながら、情報共有できるハブのような会にしていきたいですね。

――ありがとうございました。(聞き手・木原ゆい/撮影・矢部朱希子)