未来の会がスタートしたのは、1998年7月でした。
地域会館の一室に、学校に行けなくなった中学生のお母さん4人が初顔合わせをしたのが未来の会の始まりです。
その数年前から、私は身近な人のお子さんが学校に行けなくなり、お母さんが大変な悩みや焦りの中にあることを知りました。
彼女たちは本州に住んでいたので、電話でその話を聞き、本当に驚いたことを覚えています。
当時は「登校拒否」と呼ばれていたように思いますが、情報も相談機関もほとんどなく、私自身もどのように励ましたらよいのか途方に暮れました。
それをきっかけに「登校拒否」についての本を読んだりもしましたが、著者や立場によって考え方も随分違うようで、どの話を参考にしたらよいのかも戸惑うばかりでした。
でもその中ではっきり分かったことは、「子どもも辛いのかもしれないけれど、お母さんも本当に苦しんでいる」という事実でした。
やがて、恵庭市内で中学生の息子さんが学校に行けなくなって悩むお母さんと知り合い、色々とお話を聞くことを続け、そのお母さんが言ったのです。
「私と同じような気持ちの人が恵庭にもまだいると思う。一緒に話せる場があればいい」
それが、未来の会を立ち上げる原動力となりました。
ですから、私が「登校拒否や不登校」について考え始めてから約25年が経ったことになります。
前置きが長くなりましたが、その頃と現在を考えると良い変化をしたことも沢山ありますが、問題は複雑化・深刻化しているのではないかと感じることもあります。
昔より良くなったと思うのは、次のようなことです。
〇登校拒否や不登校は、誰にでも起こりうることだと文科省も認めた。
〇以前は本人や家族の問題と考えられていたが、今ではいじめや学校の対応の悪さも要因という認識が広まった。
〇適応指導教室やフリースクールなどが増え、学校にもスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーが配置されるようになった。
〇各地に親の会も増えて、ネットやメールでの情報交換が簡単にできるようになった。
〇登校拒否や不登校を経験した子ども達が次々と大人になり、学校に行かなくても適切な対応と子どもが安心できる居場所ができれば、ちゃんと成長するということが証明されるようになってきた。
まだまだあるかもしれませんが、とりあえずこのくらいにして、変わらないしさらに悪くなっているのではということを考えてみます。
〇子どもが不登校や登校を拒否するようになると、親子共々大変な辛さと悩みを抱える。
〇学校は相変わらず、子どもの心に寄り添おうとするよりは、何とか登校させようとする。
〇「発達障がい」の概念が広まるにつれ、問題を子どもの個性によるものと考える傾向が強くなったのではないか。
〇イジメなど友人とのトラブルや、担任との関係悪化が要因と考えられる場合が多いが、なかなか学校はそれを認めないので適切な対応につながりにくい。
〇問題が表面化した時、教育委員会は子どもの立場に立った対応というよりは、学校や教師を守っているのではないかと感じることも多い。
それに加えて、社会的な環境の変化が大きくなってきています。
家庭の経済的格差も大きくなり、それらのストレスも関係あるのかもしれませんが、夫婦間のトラブルやDVの話を聞くことが増えているような気がしますし、それに続くような形で「一人親世帯」も増えているように感じます。
また、「発達障がい」とくくられることが多いのですが、子どもの発達のバラツキに対して、学校が適切な指導ができにくくなっていて、子どもによっては「支援学級」を勧められることも多いようですが、そこでも個性に合った指導がきめ細やかにそれているのかどうかよくわかりません。
子ども自身はもとより、親も教師も子どもの個性をきちんと把握できず、
「怠ける」「意欲がない」「コミュニケーション力がない」「嘘をつく、ごまかす」など、
子ども自身が悪いとでもいうような対応が続くと、どうしても自信も意欲もなくなるでしょう。
そんなことを考え始めると、子どもにとって昔より今の方が良くなったと思えなくなることも多々あるのです。
私が昔より自信を持ってはっきりと断言できるのは、
「学校に行かなくたって、ちゃんと成長はできる」ということですが、
それも、その子がのびのびと個性を発揮できる環境があってこそです。
学校に行けず、家庭でも居場所がなくて辛く、友達との出会いもなく…、が持続したら本来その子が持っていた伸びようとする芽は次々とつみ取られます。
学校に行こうと行くまいと、障害と呼ばれる個性があろうとなかろうと、その子だけが持つ伸びようとする個性の芽は沢山あります。
植物を育てている人はわかるでしょう。
植物にはその植物に合った土と水と空気があれば、多少過酷な事態が起きたとしても、なかなか完全には枯れないものです。
ましてや人間です。
安心して日々を暮らせる住居と、成長に必要な食べ物と、楽しい会話が出来る家族や友達、温かく見守ってくれるその子と関わる人々、好奇心に導かれながら好きなことに夢中になり、心から楽しめる遊びの時間。
それらがあれば、たとえそのどれかが不足していたとしても子どもは力強く成長するでしょう。
人間にとって、必ずしも安全安心な環境とは言えないこともあるでしょう。
でも、人間は弱そうでも本当は強いのだと、私は思っているし信じたいと思います。
思いつくままに書いたので、言葉足らずや思い込みがある部分があると思いますが、ご容赦ください。