私は名古屋・妊婦切り裂き殺人事件の囮にされた ⑨

ぼろざる
2014/03/24 23:25

2月16日のことをもう一度振り返ってみます。

あの騒ぎは結果的に見れば、ただ不審な男が玄関先でがたがたしただけということです。だが、それはたまたま状況が私にとって運良くはこんだだけであって、一歩間違えば、私は命を失っていても不思議はなかったのです。

危険な場面が、あの短い時間のなかにいくつもあった。その点を検証したいと思います。

第一に、最初の110番をした際、電話が玄関の近くにあったため、男は通報されていることに気がついてすぐに逃げた。だが、通報に気がつかなかったらどうだったでしょう。男が、チャイムを鳴らすだけでは家の中に侵入は出来ないと気がつき、代わりに勝手口とか縁側とかの戸のかぎの締め忘れでもないかと探したとしたら・・・。

私は110番通報に気をとられて締め忘れた戸を開けて男が侵入したことに気づかない。そして逃げ遅れる。格闘になる。この場へ、T派出所員がすぐさま駆けつけてきたのなら、私は救われるかもしれない。だが、本来なら警官が3分で来れたところを、刑事が故意に15分も遅らせた。3分後なら救えた命も、15分後なら完全に死んでいるでしょう。

第二に、最初の通報できたT派出所員が早々と私の家から立ち去ってしまったあと、私は警戒してすぐ家の中に入り、ふたたび厳重に鍵を掛けた。だが、私が警戒心の薄い女だったらどうでしょう。
警官が立ち去ったあと、たとえば庭先に取り込み忘れた洗濯物を取りに残っていたら?舞い戻ってきた男に洗濯ロープで首を締められ、その場で殺された可能性は大きかった。 このとき捜査当局は、帰らせた派出所員の代わりに、刑事を張り込ませていたが、その刑事は私の家の周りを遠巻きにしていただけです。

私の家は、納屋や高い塀に囲まれ、庭の中で何が起こっているかは、外部からはまったく伺うことはできないのです。

第三に、二度目の通報のあと、私は2階に避難した。出たばかりの派出所員がすぐに戻ってきてくれるから、2階に避難していれば男が侵入してきても、それまでは持ちこたえることができると判断したからです。けれども警官は、戻ってきてはくれなかった。

警察が、私が殺されて死ぬまで来てくれないのだとわかっていたら、私は2階になど逃げずに、裏窓を乗り越えて家の外へ逃げていたでしょう。警察を信頼してしまったばかりに、あえて逃げ場のない二階へ行ってしまったのです。

第四に、二度目に通報されて、男が逃げて行くときです。男が門をでたそのすぐあとで、姉夫婦が駆けつけてきてくれた。もしもう少し男の出るのが遅かったら、また、姉たちの来るのがもう少し早かったら、逃げる男の前に姉夫婦が立ちふさがる形になっていました。逃げ場を失った男は、仮にポケットにナイフでも忍ばせているような輩だったら、逆上して二人をひとつきに刺していたかも知れない。

何度も言いますが、このとき捜査当局は、刑事を遠巻きに張り込ませて、別件逮捕できる機会を虎視眈々とうかがっていただけなのです。本来の、市民の生命の安全を守るための行動は、一切取っていなかったのです。


捜査責任者はどのような態度をとったか

捜査当局への手紙で私がおとり捜査を指摘したあと、X刑事はもはや二度と私の目の前に姿をあらわさなくなりました。すべてがばれて、さすがに恥ずかしくなったのでしょう。私も、父の死や自分自身の病気で大変だったりで、それ以上彼のことを追及する気持ちにはなれませんでした。追求してもしょせん無駄だという無力感もありました。

刑事たちとの係わりはここでしばらく途絶えました。ただ翌年夏に、妊婦殺人捜査の責任者である貞池捜査主任と、中川警察の野見山刑事一課長が、ふたり、雁首そろえて、わたくし宅の玄関先に現れる機会がありました。責任者がお出ましになったちょうど良い機会だからと、私は彼らに、おとり捜査の事実について、せめてひとこと、オフレコでいいから謝罪することはできないのか、と詰問しました。けれども彼らは「派出所員は、別の事件に出ていたり、交通事情で遅れることもある」と釈明する一点ばりでした。

頬かむりを決め込み、決して謝ろうなどしようとはしません。外部に対して知らぬ存ぜぬを押し通すだけでなく、内部的にも、おとり捜査を実際に指揮したX刑事が、なんらかの処分を受けたなどという話は、いっさい聞かないのです。

それもそのはずでしょう。頭のいいX刑事が、わざわざ自分の職を賭してまで、おとり捜査に踏み切るわけはありません。警察内部に、少し警官の出動を遅らすくらいのことは、大目に見てもらえる土壌があるからこそ、X刑事はなんの恐れ気もなく、おとり捜査に手を染めたのです。

実際におとり捜査を指揮したのはX刑事ですが、それを危険な手法として彼に異議をとなえたものは警察内部に誰もいなかった。唯々諾々と彼の指揮に従ったという点において、他の刑事たちもみな「未必の故意」の共同正犯なのです。

これまで書き綴ってきたのは、11年前の出来事です。けれども、私と妊婦殺人事件との係わりはこれだけでは終わりませんでした。この後にも容疑者の家族、また被害者遺族の方との、さまざまな係わりがありました。もちろんその過程で、刑事ともいろいろ接触し、この事件のことでさらに多くのことを知り体験しました。けれどもそれらのすべてを書き記していれば、あまりに冗長なものになってしまいます。そのため、私は父の死のところで筆をおきました。

もちろんここまででも、書ききれていない事実が多く残っています。その後のことで、端的に述べておかなければならないことは、警察は、おとり捜査に対する私の再三の謝罪要求にもかかわらず、いまもってその事実を認めようとしていないことです。また、容疑者とその家族は、一部近隣住民から「あの家の息子が怪しい」と噂にもなり、また自分たちが警察の捜査の対象になっていることを気がつきながらも、抗弁一つするでもなく訴訟に踏み切るでもなく現在も犯行当事と同じ住居に住み続けていることです。私自身は、もし私があの男が容疑者とされていると知っているとばれたら、ますます生命の危険が増すことから、このことは家族以外の誰にも口外はしてきませんでした。また私の家族も沈黙を守りました。私はただ、犯人が逮捕され、事件が解決することを、息を潜めるように待ってきました。おとり捜査の事実を社会に告発することも、事件解決のあとであると諦念してきました。しかし、いつまで経っても犯人逮捕を見ることなく、歳月がただむなしく過ぎてゆきました。このままではいけないという危機感を抱き始めたのは、1999年のことでした。この年、あの白々しい通信傍受法が国会で成立し、神奈川県警本部長逮捕事件を発端とする一連の警察不祥事報道が続きました。私はこの事態に怒りが再燃する思いで、ついに沈黙を破り、原稿用紙にして60枚ほどの告発文をまとめると、マスコミ各社に実名で投書しました。けれどもそれを記事に取り上げてくれるところはどこもありませんでした。これ以来私は、ネット告発という手段を視野に入れるようになりました。

それに踏み込むか否かは、1年もの間逡巡してきました。迷い迷った挙句に、やはりこのような形の告発に私を踏み切らせたのは、警察の卑劣さに対する怒りのみならず、この妊婦殺人事件の手口のむごたらしさへの怒りです。

多くの犯罪がある中でも、母体の腹部を切り裂き、胎児を抜き出すなど、同じ女性としてのみならず、人間として許しがたい行為であると、深い深い怒りにとらわれます。 犯罪捜査の内情は、一般市民には知るところではありません。今後逮捕はあるのか、それともあっけなく迷宮入りになってしまうのか、予断は許さないことです。しかし私は、私のこのような形での告発が、いまは風化しかけている事件への関心を、もう一度世の人たちの中に甦らせ、犯人の早期逮捕に至る決め手を炙り出す結果にならないかとの望みを抱いています。またこの事件への関心が失われているままだと、その隙に、もう一人の犠牲者が出るのではないかという危惧もあります。

末尾になりましたが、何らかの形で(それがどんな形となるかは私には予測ができませんが)、惨殺の被害に遭われた若き妊婦M.Mさんの魂が冥福に至り、残された遺族の方々の無念が晴らされることを、切に祈らずにはいられません。私がここにあらためて述べるまでもなく、遺族の方、とりわけ現場の第一発見者であり、血の海の中からわが子をとりあげたという夫君のS.M氏の無念はいかばかりでしょう。氏は、警察によって、犯人扱いされ身辺を洗われさえしたのです。

氏もまた、犯人のみならず警察当局より、手ひどい心の傷を負わされていることは、想像に難くありません。いったい誰が、S.M氏の心の傷を癒すのでしょう。また、殺人犯の手によってとりあげられ、自分の生まれた日が、母の殺された日である子供の運命は!

どうか皆さん私があげたこの小さな告発の声を、真実のものであると見抜いてください。そして事件解決のために、ひとりでも多くの人が協力してくださることを願わずにはいられません。容疑者は、犯行現場の至近距離にいまでも住み続けているのです。自分が真犯人であることを半ば公然と認めるような形で。私はそれを知ってしまったのです。沈黙を守り続けることが、私にはもはやできなくなってしまったのです。
(注記;警察当局におけるこの事件の正式名称は「妊婦殺人事件」といいます。私は、このサイトの標題を「妊婦切り裂き殺人事件」としました。「切り裂き」とショッキングな語彙を付け加えたのは、この事件の残忍さを多くの人に思い出してもらいたかったからです。けれどもこの点において、被害者ならびに遺族の方に対し非礼があることをお詫び申し上げます。)
http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/432.html






《終わり》