昨年末から19世紀の世界情勢を見てきています。
・アメリカが日本に開国を迫ったのはどのような理由で?どのような国内状況にあったか?
・日本は開国~幕末の間、西欧列強とどのような関わりを持っていたか?
・19世紀のフランスはどのような状況にあったか?
さて、今回から幕末日本に密接に関係のあったイギリスを見ていきましょう。
この時期のイギリスは黄金時代を迎え、世界史上最大の面積を誇る大帝国になりました。
ユーラシア大陸を制圧していたかのモンゴル帝国より上回ります。
そして、それは本国より、ほとんど植民地で成り立っていました。
この頃の海上覇権はスペイン→ネーデルランド(オランダ)からイギリスに完全に移っていました。
世界のどこよりも産業革命を果たしたイギリスは、自国製品を売りさばく市場と、原材料を調達する場が必要でした。
そしてそれを実行するための海軍力を支える資金も必要でした。
広大な植民地を持つ-メリットもありますが、植民地経営には多大な費用も必要です。
15世紀にポルトガル・スペインが「新航路の発見」を果たし、北米・中南米・南米にいた原住民を虐殺し、そこにあった王国を滅ぼし、残った原住民(急速に人口減)とアフリカの黒人をアメリカ大陸に移し奴隷として活用しました。
金銀発掘のために利用しました。
メキシコでは大量の「銀」が採れ、その持ち帰った銀でヨーロッパでは価格革命が起こります。
大規模農場も経営していました。
また、彼らが「新大陸」と思った土地から、今まで「旧大陸」に存在しなかった農作物を持ち帰り、世界規模で広めました。
北米・中南米・南米のスペイン領への奴隷貿易はスペインの特許事業でした。
これをアシエントasientoと言います。
スペイン国王から許可が必要でした。
行きは労働力たる黒人を西アフリカから「新大陸」スペイン領に運び、帰りは「砂糖」をヨーロッパに持ち帰る「三角貿易」で多大な利益を得ていました。
当初はポルトガルも参加していましたが、ポルトガルは衰退。
17世紀になるとスペインから実質的に独立を果たしたオランダがこの三角貿易に台頭。
1621年にオランダは「オランダ西インド会社」を作り、黒人労働力をスペイン領だけでなく、ポルトガル領へも運びます。
やがてこの大規模取引はフランスが主流になります。
1701~14年、英仏戦争の1つである「スペイン王位継承戦争」が起こります。
スペイン王位にフランス、神聖ローマ帝国(オーストリア=ハプスブルク家)、ポルトガル、バイエルン選帝侯、サヴォイア公らが、それぞれ候補を上げます。
フランス・ルイ14世が王妃がスペイン王カルロス2世の姉であったことから、孫のアンジュー公フィリップを王位につけようとし、カルロス2世も遺言でそれを認めます。
1701年、フィリップはスペイン王位を継承し、「フェリペ5世」となり、フランス王位継承を放棄します。
スペインとフランスが一体となる恐れを他国に大いに抱かせたため、です。
この際、アシエントをフランスに譲ります。
1713年、このスペイン王位継承戦争と、アメリカ大陸でのアン女王戦争の講和条約「ユトレヒト条約」で
・ヨーロッパでの勢力均衡維持のため、スペインとフランスは永遠に一体化しない(ブルボン家の伸張を防ぐ)
ことを決定づけられ、また、イギリスは多大な海外領土・権益を手にしました。
「なぜ、ここでイギリス?」
かと言うと、スペイン王位継承戦争と並行して、アメリカ大陸でのスペイン領が問題となり英仏で争っていたからなのです。
この時にイギリスはこのアシエントを手に入れ、黒人貿易をイギリスが大々的に担うことになるのです。
こうして黒人貿易はスペイン・ポルトガル→オランダ→フランス→イギリスの手に渡ります。
海外領土も多く手に入れ、19世紀ビクトリア女王の下、イギリスは黄金時代を迎えます。