西欧人の勘違い -②コロンブスの大西洋航路発見とコンキスタドール スペイン | BEYOND BORDERS

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「アメリカはいつ、誰によって発見されたか?」

 

という問題は非常によく出題されます。

「1492年、コロンブスによって」

一般的には〇かもしれませんが、厳密に申すならXです。

1492年は非常に重要な年号です。

国土回復運動(レコンキスタ)終了とコロンブスのサン・サルバドル島到着、西インド諸島到達です。

 

コロンブスは合計4度、新大陸と考える地へ航海しました。

第1回 サン・サルバドル島、キューバ、ハイチなどの西インド諸島

第2回 ジャマイカ

第3回 ここでやっとアメリカ大陸(^^;沿岸

第4回 ベネズエラ、ホンジュラス、パナマ沿岸

 

ついぞ、そこをインドだと信じて疑わないで終わりました(;^_^A

 

 

 

アメリカと呼ばれるのはドイツの地理学者ヴァルトゼーミューラーが

 

「コロンブスがインドと思い達したのは、まだ知られていない『新大陸』である」

 

アメリゴ=ヴェスプッチが航海した後、帰国後に発表した彼の名前にちなんでのことなのです。

 

勘違いしたまま終わり、西インド諸島や南米の人たちを残虐に扱い、植民地経営に失敗し、人として徳があるとは言えないコロンブスですが、彼の新しい世界を見つけようとする信念には感服します。

 

大変な苦労を重ね、命を脅かされながらも、けして夢をあきらめない「信念の人」でいたのです。

 

クリストファー=コロンブスはイタリアのジェノバ出身の航海者でした。

クリストファー=コロンブスはラテン語読み、英語。

イタリア語ではクリストフォロ=コロンボ。

スペイン語ではクリストバル=コロン。

 

彼は地球球体説を信じ、地球の円周距離や陸・海の比率を割り出し、アフリカの南を回るより速くインドに行くことができると自説を持ちました。語学・地理学・天文学にも通じていました。

 

膨大な費用がかかる航海には出資者が必要。

自分の計画をまずポルトガルに持ち込みます。

コロンブスの成功の暁の報酬を受け入れることができないポルトガル王は、その案だけを取り、他の者に航海を任せました。

さらに、コロンブスが他の国に計画を持ち込まないよう、監視をしていてため、彼は身を隠す必要がありました。

 

当時のイベリア半島にはイスラム王朝のナスル朝、ポルトガル、フランスとの境にナバラ王国、圧倒的に面積の広いカスティリア王国、地中海沿岸にアラゴン王国がありました。

 

 

カスティリアとアラゴンは紛争が絶えませんでしたが、カスティリアの王女イサベルとアラゴンの王子フェルナンドが1469年に結婚し、1479年には「スペイン王国」となりました。

 

1486年、コロンブスはスペイン王国に話を持ち込みました。

興味は持たれたものの、当時はイスラム教徒との戦い、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐する「国土回復運動(レコンキスタ)」で費用を捻出することができませんでした。

 

何年も回答待ちとなり、コロンブスは再度ポルトガル、他にイギリスやフランスにも話を持ち掛けました。

 

スペインがグラナダを陥落させ、国土回復運動が完了した1492年、やっとGOサインを貰えたのです。

 

大航海に対する情熱、揺らぎない信念があったとはいえ、年々老いていく自分の体。

あちこちの国に話を持ち掛けたことで、どんどん身の危険は増えて行く…。

そんな中、待って待ってようやく勝ち取った計画だったのです。

彼は40代を迎えていました。

 

1492年10月、71日目にやっと陸地が見えました。

コロンブスはこの島グアハナニ島を「聖なる救世主」という意味のサン・サルバドル島と呼びました。

現地の人たちをインドの人たちと信じていました。

 

計画通りに行かない航海で、乗員たちが反乱を起こしそうになったこともあります。

座礁で船を一隻ダメになってしまったこともあります。

55歳で没しましたが、「なかなか結果が出なくても諦めない」という姿勢には頭が下がります。

彼は新大陸を発見はしませんでしたが、ヨーロッパからアメリカという大西洋航路の発見をしたとは言えるでしょう。

 

しかし、教科書や歴史の授業では詳しく触れないことだと思いますが、彼こそが典型的白人征服者(コンキスタドール)の始まりとも言われています。

いともたやすく原住民の人を誘拐、殺戮し、疫病(梅毒)を移し、奴隷として扱います。

ヨーロッパから流行り出した梅毒は西インド諸島だけでなく、インド航路で東アジアにも移し、日本には「鉄砲より早く」伝わりました。

 

インディアンと呼ばれた原住民たちはコロンブスが訪れてからわずか4~5年で人口が3分の1になり、死亡率は2倍に上がったのです。

それから労働力確保のため、黒人奴隷をアフリカから輸入し、イスパニョーラ島へ移しました。

彼が来なかったら大殺戮は起こり得なかったことです。

ここでも解説しています⇒奴隷貿易の歴史

 

 

 

アメリカ合衆国では10月12日を「コロンブス=デー」として祭日にしていますが、インディアンの人たちからすれば「白人による侵略開始の日」になります。

歴史に「もし」はないと言いますが、私はよく「もし」で仮想します。

もし、コロンブスが本当にアジアに来ていたら―

彼以降の人たち(コルテスやピサロ)が中南米・南米で多くの国を征服し殺戮したように、アジアも蹂躙され植民地にされていたことでしょう。

 

自分が今、「生きていること」も「国と呼べる国土があること」も、当たり前とは思えず感謝あるのみですえーん

 


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