すぐ続けて記すつもりだった「カショギ氏」事件。
年末まで検査が続くほど、起きていられず食事も難しい日々が続いておりました。
検査結果を聞きに行く日も、具合悪くキャンセルしたほど
事件からかなり日数が経ってしまいましたが、トランプ政権と深く関わりのあるサウジアラビアのことなので、ここで述べていきたいと思います。
さて、カショギ氏を述べる前に、サウジアラビアという国についてです。
サウジアラビアは「サウード家のアラビア」の意で、スンナ派(多数派)の中の「ワッハーブ派」というかなり厳格なイスラム教を「政教一致」させている国家であることは、以前のブログでも記して来ました。
絶対王政、独裁国家です。
現在ではキリスト教国・ユダヤ教国でイスラエルより、シーア派国家のイランやシーア派勢力を敵としています。
意外に知られていない(氣がする(;^ω^))と思うのですが、現在の王朝が建国されたのは1932年。
昭和7年のことです。
当たり前のことではありますが、建国されてからサウード家が一代目が興ったのではなく、力のあるサウード家が王権を握ったのです。
初代国王ファイサル国王。
それからファイサルの息子たちの代、現在のムハンマド皇子は父サルマン国王や叔父たちの第2世代の下、第3世代となります。
トランプ大統領とムハンマド皇太子のこの事件後のG20(11月30日~12月1日)での映像を見てもわかりますが、サウード家の男性は背が高く、ファイサル国王にいたっては2m近くあったようです。
昨年サウジアラビア展で撮った王様の衣装
イスラム国家での奥さんの数え方は国家・部族ごとに異なり複雑です。
一度に持てる妻は4人としても離婚や死別もありますし、女性を正式にカウントしていないので、実際には100人以上いたともいわれています。
こどもにしても女の子は正確に記されていないのでこれまた不明ですが、ファイサル国王には少なくとも男女合わせて90人近くおり、男子で52人という記録があります。
ファイサル国王の男子で皇位継承権のあったものが36名。
この中で実際に王位についたものが4名。
ムハンマド皇子の父、サルマン国王は第7代(2015年1月~)。
アラブ社会での国の要職は、王家・族長家のもので占められます。
例えば、話題のムハンマド皇太子は
「皇太子・第一副首相・国防大臣・経済開発評議会議長・王宮府長官」
として、健康に問題のある父の代わりに働いています。
この兄弟(父や叔父たち)の中でも闘争が絶えません。
その下、ファイサル国王の孫世代(ムハンマド皇太子の世代)になったら、いったい何人の皇子がいることか。
一言に「皇子」と呼ばれる立場の人が3000人以上いるのです。
ムハンマド皇太子が2017年、120名以上もの政敵の粛清を行ったのはご記憶にあるかもしれません。
政権につくや否や、皇子だけでなく大手のメディアのトップ・政府高官・女性の人権活動家も粛正・暗殺の対象となりました。
リヤドにある「リッツカールトン」は「拘置所」となり、拷問も行われました。
政敵を倒し、国王の座に就く。
サウジ王家にとって権力闘争はつきもの。
ムハンマド皇太子を跡継ぎにしたいサルマン国王も元々の皇位継承者ナーイフ皇太子を倒しました。
(さらに今後の継承者はサルマン国王の直系からということにしたため、かなり他の皇子から反発が出ました。)
今度は自分が自分に異を唱え、抗議するものを倒す。
倒されなければ自分が倒される。
ムハンマド皇太子が権力を握った頃、ちょうどアメリカではトランプ氏が大統領になりました。
トランプ大統領は政・官・財・言論界をリードする、いわゆる「東部エスタブリッシュメント」と仲悪く、サウジ側としても前政権と深い繋がりのあるアメリカ東部エスタブリッシュメントを嫌っていました。
両者の意向が合っているわけです。
サウジアラビア人のジャマル・カショギ氏の件に、なぜアメリカが出てきて、彼はトルコに渡ったのか?という方もいらっしゃると思います。
カショギ氏はどちらかというと前政権派の人です。
事実上の亡命としてアメリカへ渡り、ジャーナリストの活動をしていました。
「ワシントン・ポスト」のコラムニストでした。
ムハンマド皇太子の批判を行っていました。
祖父は王宮の医師、叔父は有名な武器商人アドナン・カショギ氏。
裕福な家の出身です。
彼の婚約者はトルコ人。
結婚証明書を取るためにトルコ・イスタンブールにあるサウジアラビア領事館に行ったのです。
領事館に出向いた際、1度目は帰されました。
「10月2日に出直せ」
と言われたのです。
サウジの現政権が彼を逮捕するチャンスを窺っていたのは間違いありません。
この2度目に訪れた際、いくら婚約者が待ってもカショギ氏は戻ることはありませんでした。
領事館ではムハンマド皇太子と電話が繋がれ、サウジに戻るよう説得されます。
それを拒否したため暗殺されました。
生きながら指から始まり、最後は首を切断されるという残酷な方法で殺害されました。
そして、カショギ氏の首はサウジ領事館内の井戸から発見されました。
あまり報道がされませんが、サウジアラビア国内では反体制派は砂漠に埋められ、情報提供者・協力者は消えてしまうことはよくあることです。
現在でも石打ちの刑、首を切り落とす刑を公開でやっています。
こういったことにナーバスな欧米諸国ですが、相手は世界最大の石油輸出国ですし、武器購入してくれる国でもあり弾劾しづらくありました。
経済の方が優先されていたのです。
アメリカにすれば石油利権を掌握し、ドル(ペトロダラーと呼ばれます)を強く保つことが重要。
ドルの価値は石油で裏打ちされているようなものですから。
元皇位継承者であったナーイフ皇太子がサルマン国王に解任されたのもアメリカの意向が働いています。
ですから事件直後、トランプ大統領の歯切れが悪かったの尤もなのです。