BEYOND BORDERS

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すぐ続けて記すつもりだった「カショギ氏」事件。

年末まで検査が続くほど、起きていられず食事も難しい日々が続いておりました。

検査結果を聞きに行く日も、具合悪くキャンセルしたほどショボーン

事件からかなり日数が経ってしまいましたが、トランプ政権と深く関わりのあるサウジアラビアのことなので、ここで述べていきたいと思います。

 

 

さて、カショギ氏を述べる前に、サウジアラビアという国についてです。

 

 

サウジアラビアは「サウード家のアラビア」の意で、スンナ派(多数派)の中の「ワッハーブ派」というかなり厳格なイスラム教を「政教一致」させている国家であることは、以前のブログでも記して来ました。

 

絶対王政、独裁国家です。

現在ではキリスト教国・ユダヤ教国でイスラエルより、シーア派国家のイランやシーア派勢力を敵としています。

 

 

 

意外に知られていない(氣がする(;^ω^))と思うのですが、現在の王朝が建国されたのは1932年。

昭和7年のことです。

当たり前のことではありますが、建国されてからサウード家が一代目が興ったのではなく、力のあるサウード家が王権を握ったのです。

 

 

初代国王ファイサル国王
それからファイサルの息子たちの代、現在のムハンマド皇子は父サルマン国王や叔父たちの第2世代の下、第3世代となります。

 

 

トランプ大統領とムハンマド皇太子のこの事件後のG20(11月30日~12月1日)での映像を見てもわかりますが、サウード家の男性は背が高く、ファイサル国王にいたっては2m近くあったようです。

 

昨年サウジアラビア展で撮った王様の衣装

 

イスラム国家での奥さんの数え方は国家・部族ごとに異なり複雑です。

一度に持てる妻は4人としても離婚や死別もありますし、女性を正式にカウントしていないので、実際には100人以上いたともいわれています。

 

こどもにしても女の子は正確に記されていないのでこれまた不明ですが、ファイサル国王には少なくとも男女合わせて90人近くおり、男子で52人という記録があります。

 

 

ファイサル国王の男子で皇位継承権のあったものが36名。

この中で実際に王位についたものが4名

ムハンマド皇子の父、サルマン国王は第7代(2015年1月~)。

 

 

アラブ社会での国の要職は、王家・族長家のもので占められます。

例えば、話題のムハンマド皇太子は

 

「皇太子・第一副首相・国防大臣・経済開発評議会議長・王宮府長官

 

として、健康に問題のある父の代わりに働いています。

 

 

 

この兄弟(父や叔父たち)の中でも闘争が絶えません。

 

その下、ファイサル国王の孫世代(ムハンマド皇太子の世代)になったら、いったい何人の皇子がいることか。

一言に「皇子」と呼ばれる立場の人が3000人以上いるのです。

 

 

 

ムハンマド皇太子が2017年、120名以上もの政敵の粛清を行ったのはご記憶にあるかもしれません。

 

政権につくや否や、皇子だけでなく大手のメディアのトップ・政府高官・女性の人権活動家も粛正・暗殺の対象となりました。

リヤドにある「リッツカールトン」は「拘置所」となり、拷問も行われました。

 

 

 

 

 

 

政敵を倒し、国王の座に就く。

サウジ王家にとって権力闘争はつきもの。

 

ムハンマド皇太子を跡継ぎにしたいサルマン国王も元々の皇位継承者ナーイフ皇太子を倒しました。
(さらに今後の継承者はサルマン国王の直系からということにしたため、かなり他の皇子から反発が出ました。)

 

 

今度は自分が自分に異を唱え、抗議するものを倒す。

倒されなければ自分が倒される。

 

 

ムハンマド皇太子が権力を握った頃、ちょうどアメリカではトランプ氏が大統領になりました。

トランプ大統領は政・官・財・言論界をリードする、いわゆる「東部エスタブリッシュメント」と仲悪く、サウジ側としても前政権と深い繋がりのあるアメリカ東部エスタブリッシュメントを嫌っていました。

 

両者の意向が合っているわけです。

 

 

サウジアラビア人のジャマル・カショギ氏の件に、なぜアメリカが出てきて、彼はトルコに渡ったのか?という方もいらっしゃると思います。

カショギ氏はどちらかというと前政権派の人です。

 

事実上の亡命としてアメリカへ渡り、ジャーナリストの活動をしていました。

「ワシントン・ポスト」のコラムニストでした。

ムハンマド皇太子の批判を行っていました。

 

 

 

祖父は王宮の医師、叔父は有名な武器商人アドナン・カショギ氏。

裕福な家の出身です。

 

彼の婚約者はトルコ人。

結婚証明書を取るためにトルコ・イスタンブールにあるサウジアラビア領事館に行ったのです。

 

領事館に出向いた際、1度目は帰されました。

「10月2日に出直せ」

と言われたのです。

サウジの現政権が彼を逮捕するチャンスを窺っていたのは間違いありません。

 

この2度目に訪れた際、いくら婚約者が待ってもカショギ氏は戻ることはありませんでした。

 

領事館ではムハンマド皇太子と電話が繋がれ、サウジに戻るよう説得されます。

それを拒否したため暗殺されました。

 

 

生きながら指から始まり、最後は首を切断されるという残酷な方法で殺害されました。

そして、カショギ氏の首はサウジ領事館内の井戸から発見されました。

 

 

 

あまり報道がされませんが、サウジアラビア国内では反体制派は砂漠に埋められ、情報提供者・協力者は消えてしまうことはよくあることです。

現在でも石打ちの刑、首を切り落とす刑を公開でやっています。

 

 

 

こういったことにナーバスな欧米諸国ですが、相手は世界最大の石油輸出国ですし、武器購入してくれる国でもあり弾劾しづらくありました。

経済の方が優先されていたのです。

 

アメリカにすれば石油利権を掌握し、ドル(ペトロダラーと呼ばれます)を強く保つことが重要。

ドルの価値は石油で裏打ちされているようなものですから。

 

元皇位継承者であったナーイフ皇太子がサルマン国王に解任されたのもアメリカの意向が働いています。

 

ですから事件直後、トランプ大統領の歯切れが悪かったの尤もなのです。

 

 

 

 

 

 

 

9月から体調不良が続いています。

その間も多くの方がご覧に下さっていて、いつも驚いています。

今回は入院するかと思いました。

 

私を知って下さっている方は

「ずいぶん無理したんだろうな」

と思われているかもしれませんが、無理する前に倒れました (^^;

 

この秋は大きな国際ニュースがいくつか飛び込んできました。

・安田純平さん解放される

・カショギ氏不審死

・アメリカ中間選挙

・ゴーン氏逮捕・拘留中

・北方領土2島返還論

などなど

 

 

どのくらいの頻度でどこまで書けるかわかりませんが、安田さんのことやカショギ氏事件の背景など、「中東情勢」について触れたいと思います。

 

 

 

 

まず、安田さん解放

多くの日本の方は

「拉致していたのは・・・ISとは関係ないの?どこの団体?」

「そう言えばISってどうなったの?」

「どうして『カタール』の名が出てくるの?」

 

と、疑問に思われたのではないでしょうか?

 

 

 

舞台となったシリア。

 

まず、なぜ「シリア」が紛争地域になっているか、です。

おわかりになりますか?

 

政府側とその反体制派の戦闘で、長く紛争が続いています。

 

 

2010~2012年にかけてアフリカ地中海沿岸諸国の大規模反政府運動で独裁政権が次々に倒れましたね。

 

「アラブの春」と呼ばれました。

 

チュニジアから発生し(ジャスミン革命)、インターネットを通じ、瞬時に各地に広まりました。

 

次々と以前の政権が倒れ、最後に回ってきたのが「シリア内戦」なのです。

 

しかも、「リビア」の「カダフィの隠し金」もトルコ経由でシリアに流れたと言われています。

 

 

この

『民衆側から権力者を倒す』

という形はよくアメリカが仕組むことなのであります。

 

「アラブの春」という北アフリカ・中東の独裁政権国家転覆というのは、アメリカのシナリオです。

 

「リビア」「カダフィ」というと、日本では「悪の枢軸国」「アラブの狂犬」… 非常に悪しきイメージが浸透していたかと思います。

 

これこそがまさにマスコミを巧みに利用した情報操作。

 

アメリカの意に沿わない権力者は、往々にアメリカに消されてきました。

 

フィリピンのマルコス大統領しかり、イラクのフセイン大統領然り、です。

 

マルコス大統領は旧日本軍の「隠し軍資金」「お宝」を発見。

アメリカに渡さず独占しようとしたところ、革命が起きました。

 

フセイン大統領は石油決済がドル建てで行われているところ、「ユーロ決済」を試みようとしたためでした。

 

チュニジアのベジ・ガイドセブシ大統領は、

アメリカから『チュニジアに米軍基地(AFRICOMアメリカアフリカ軍))を置かせてほしい』

との要望を断ったところ、1か月後、テロに見舞われました。

 

 

 

 

 

リビアは2004年まで社会主義国でした。

 

原油を算出することもあり、大学までの教育費は無料、医療費無料、海外で医療を施す場合の補助費、廉価なガソリン代、住宅資金の半額を援助などの行き届いた福祉が行われていました。

 

 

そして、「カダフィの隠し金」とは、

「アフリカにアフリカのための中央銀行」

「リビアではないアフリカ中央の国」

で作ろうと画策していた資金でした。

 

アフリカ版ユーロみたいなものですね。

 

 

 

それに反対するのはアメリカ他、アフリカの国々の旧宗主国イギリス・フランスなどです。

 

フランスは現在自国はユーロを使用していますが、旧植民地であったアフリカ諸国には「アフリカフラン」の使用を義務付けています。

 

そこからの莫大な利益で国家を運営しているので、大反対していました。

 

 

カダフィは逮捕後、移送中に殺害されたことになっていますが、これはフランスの特殊部隊によるものでした。

 

 

そこから「カダフィの隠し金」をみな血眼で探しまくり・・・

シリアで内紛が始まった際、ISの資金とした使われました。

 

当初、ISというのは単なるアラブのテロリスト集団ではなく、プロのカメラマンに撮影させ、主にアメリカの2~3段階古い兵器やユニフォームをまとめ買いする、戦略があり、統制も取れていました。

 

 

シリア内紛の報道では政府軍と反政府軍とISの3つ巴に見えましたが、実際には

 

      シリア政府・イラク政府 と 反政府側 に分かれ

 

そして、その後ろにそれぞれ組織が連なり、

さらにその後ろには支援国(大国が資金・武器援助をしていた)

 

というのが真相です。

 

私がさらさらと図解をできるとよいのですが(そういうアシスタントの方欲しいなあラブ

 

反政府側

前面  自由シリア軍(反政府軍) ヌスラ戦線 (アルカイダ) ムスリム同胞団 サラフィスト 

     IS (ラフマーン軍、イスラーム軍、シャーム解放委員会、トルクメン=シリア軍などは目的により「反政府軍」にも「IS」にもなる

支援国 アメリカ トルコ サウジアラビア カタール イスラエル イギリス フランスなど 

  支援というのは、兵器・物資などの兵站、食料投下、テントで医療を施す、軍事教練を行う、給与を支払う、攻撃に加わるなどです。

 

 

爆弾爆弾爆弾爆弾爆弾爆弾爆弾爆弾爆弾

 

 

シリア政府・イラク政府

前面 革命防衛隊 ヒズボラ    

支援国 ロシア イラン

                   

 

こんな感じです。

反政府側支援国ISを空爆するときは「事前通告」していました。

一方、政府側支援国であるロシアが空爆した時は、数カ月で壊滅状態に追い詰めました。

 

アメリカ、イギリス、フランス等ロシアのIS空爆はけして共闘関係ではないのです。

 

そして、各国がそれぞれの思惑で支援する団体が、総まとめでISと呼ばれています。

ISの中の各組織は2転3転と名前を変え、同じものであったり、重複している組織もあり、掴みどころのない存在です。

 

ISとして銃を持っていた人が、ある時には正義の味方の団体にも顔を出す

国際機関の援助のトラックの中にISの兵士が隠れて移動

イラク軍機はISとの戦闘中、米英軍機がISに物量投下しているのを見ている

 

など、ISの存在は反政府側にあり、支援国がそれぞれの思惑で資金や武器を提供していました。 

プーチン大統領は公式の場で、「ISを支援しているのは40か国以上」と言及しています。

 

後藤さん・湯川さんたちを拉致・殺害したのは「IS」。

 

今回はというと、旧ヌスラ戦線で「比較的穏健派」と呼ばれる団体ですが(;^ω^)、アルカイダであり、ISの分派でもあったわけです。

昨年秋ぐらいから相当な空爆が続けられ、ISはほぼ壊滅に近い状況にあります。

 

支援していた国が援助を止め、引き揚げてしまったため資金が底をつき、弱体化したのです。

 

そのため、シリアでは身代金目的の誘拐が絶えません。

 

 

OPECの中でもサウジアラビアの独壇場を快く思わずにいた「カタール」。

 

武装勢力の誘拐犯たちと各国間の調整役として動き、

「サウジアラビアのお客さんを自国につけたいラブラブ

と、動き回っていました。

 

 

カタールは「世界最大の液化天然ガスの産出国であり輸出国」です。

 

サウジアラビア経由ではなく、世界の大国と直接取引するべく、その存在を知らしめようと努めます。

 

人質救出交渉は、そのアピールの一環で最たるものでしょう。

 

安田さん救出に協力したことによって、日本政府や日本のビジネス界に新たなビジネスパートナー候補として目を向けさせようとしているのです。

 

サウジアラビアは独自外交をするカタールを敵視し、2017年より断交に至ります。

 

サウジアラビアは小国カタールの周りに運河を巡らし「島国」「孤立化」させ、さらにその沿岸に「核廃棄物」を処理していこうとしていますびっくり

 

 

12月3日、とうとうカタールは2019年1月よりOPECを脱退すると発表しました。

 

ISを援助していた中でも多額出資していたサウジアラビア。

 

サウジアラビアとトルコは緊張関係にありますが、サウジアラビアにとって一番の敵は「イラン」(シーア派)。

(逆にカタールはそのトルコやイランに支援されています。)

 

 

サウジアラビアは

・アメリカやイスラエルとも非常に緊密な関係にあります

・アメリカ軍に守られています(なぜなら、サウジアラビアの中で最も原油が産出する地域は、シーア派の住人(敵対)が多いからです。)

 

 

アメリカドルお金の価値(基軸)は、原油の決済がドルで行われることにあります。

 

 

現在は金本位制ではないので、サウジアラビアが

「原油価格はアメリカドルでしか受け取らない」

とした「ワシントン=リヤドの密約」によって、アメリカドルが世界のキーカレンシーとなり得るのです。

 

そのためアメリカはサウジアラビアとの外交をとても尊重しています。

 

打倒イランのためなら、サウジアラビアはイスラエルとも手を結びます。

 

(これまた「アラブの春」の余波で始まった「イエメン内戦」(2015年~)最高政治評議会フーシ派というシーア派の一派でイランに支援されており、ハーディ大統領派にはサウジアラビア、その後ろにイスラエルが支援、代理戦争化しています。)

 

サウジアラビアという国は政教一致、イスラム教国の中でもかなり戒律の厳しいワッハーブ派(スンナ派の一部)で、女性の人権が守られていなかったり、身体刑を見せもののように公開している国ではあります。

単純に

 

イスラム教 vs キリスト教・ユダヤ教

 

といった宗教対立ではないのが、現在の国際関係。

 

トランプ大統領が大統領就任後、初めて訪れたのは近隣諸国ではなく、サウジアラビアなのです。

 

そのような両国の関係なので、トランプ大統領は「サウジ領事館カショギ氏暗殺事件」でも、ムハンマド皇子を名指し攻撃しない(できない)わけなのです。

 

さて、話をカショギ氏の事件の方に移しましょう。

海上自衛隊は『旭日旗(自衛艦旗)の掲揚の自粛』を要請されていたため、11日に済州島で行われた国際観覧式の参加を見送りました。

 

「自衛艦旗の掲揚は義務である」

と毅然とした態度で臨んでよかったと思います。

一昨年にもこんなことがありました。

 

 

 

卑屈なまでの外交姿勢を取り続けている中、今回の判断は「よくやった爆  笑」です。

 

 

当日、文在寅大統領が乗艦した駆逐艦にはなんと抗日の英雄と見なされている『李舜臣』将軍の旗が掲げられていました。

「抗日旗」です。

ここまですると・・・

国際ルールを知る、常識的な韓国海軍の方は恥ずかしく、肩身の狭い思いをなさったと思いますショボーン

 

韓国にとって海上自衛隊は旧日本海軍を彷彿させる忌まわしいものなのでしょうか?

 

 

38度線で分断された北朝鮮と「休戦状態」にある韓国では「陸軍」が主流なのは必至。

それに比べて四方を海に囲まれ、過去海戦でも実績のある日本は、海上防衛にかけては世界的にも優れています。

特徴としては

・機雷除去能力

・海中での静粛性(音が静か)と潜水深度に優れたハイテク潜水艦の建造技術→こちらのブログ

・潜水員の「深度450m」という潜水能力(飽和潜水)は世界トップクラスキラキラ

 

海上防衛を不得手とする韓国海軍にとって「海上自衛隊」はこれ以上ないお手本なのです。

 

海上自衛隊が大型輸送艦やイージス艦など新たな装備を進めると、韓国海軍も慌てて同じものを購入する徹底ぶり。

(こういう「トナリキョロキョロを見て持ち物を真似する子」っていますよね(^0^;))

 

 

過去、機雷掃海訓練を見学。

日本のP-3C哨戒機での対潜水戦略を注視。

そして、

「自国でも日本のような新型潜水艦を作りたい!!

と建造技術やその運用方法についても情報を求めて来ました。

 

一昨年の2016年11月、「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)を日韓で締結。

韓国側はこれにかなりの期待をしていたはずです。

 

その場その場の「事大主義」で北朝鮮・中国・アメリカなどにすり寄る韓国。

半島に存在する国家として大変なのはお察ししますがショボーン・・・

 

 

 

自身の体調、多忙さ、家族の入院が重なったこともありましたが、今後の在り方に悩み、ブログを綴ることができないでおりました。


この休んでいる間も昨年から私が述べているテーマが19世紀各国がどのように動いているか(その中には幕末もあったため)で、大河ドラマで「西郷どん」が放映されているためか、アクセス数が高い日が続いています。

特にコレ→慶喜とフランス

(私は今年の大河が幕末の「西郷どん」とは、全く関心なく知りませんでした。)

 

みなさまの歴史に対する関心の高さに驚きました。

 

当初、このブログでは現在の国際情勢をスポット的に解説しようとしていたのですが、その背景の地理・歴史を知らなければ話は進められません。

遅々として進まないブログではありますが、この試みはけして間違っている訳ではないと思っております。

 

中学生の多くは地理と歴史を交互に学んでいることは前ブログでも記しましたが、数年後には高等学校で「日本史」「世界史」がなくなり、「歴史」1本にまとめられます。

 

日本側・世界側、両方から歴史を見ていく力が必要となり、それには地理を把握していることが前提になってきます。
(高校生も大変ですが、これを教えていくことができるかと教員にもその力量が問われます。)

 

 

ブログでは

ヨーロッパの国が航路開拓した動機と、それにおける南北アメリカ大陸・アフリカ大陸で起こったことから述べ、ペリー来航、幕末、アヘン戦争シパーヒの反乱東方問題クリミア戦争などを見てまいりました。

ここまでで、私が述べたかったことは4分の1ぐらいに過ぎません。

恐らくこのブログを読んでくださっている方々も、

 

・そして、どのように明治は開けて行ったか

・日清戦争後、国際社会の中で日本はどのような構図の中に置かれたか

・日英同盟の真意

・GHQが削った日露戦争前後の日本人政治家の活躍、日本の高い国防力

・日露戦争は日本にとって果たして勝利だったのか、日本が取った誤った選択

 

など続きを「知りたい」のではないかと思います。

 

 

このような感じで「日中紛争から第2次世界大戦」もお伝えしたいテーマでした。
過去ブログで「慰安婦問題」「南京大虐殺」がどのように捏造されたものかは記しておりますが、ほとんどの日本人が知らない、教科書に書かれていない

「大陸で日本が国家ぐるみ、軍主導でやらかしたこと」

もあります。

 

 

話は変わりますが、今年になってから中国共産党のウイグル人弾圧は一層強まり、新疆ウイグル自治区のウイグル人の大都会はゴーストタウンと化し、多くの人が「キャンプ」と呼ばれる収容所に収容されています。

ホロコースト状態になっているのです。

収容所の隣には火葬場もあります。

行方不明とされている多くのウイグル人著名人は、ここで亡くなったと見られています。

 

そして、「法輪功」の時と同じように、国家ぐるみの「臓器売買ビジネス」が横行しています。

 

過疎化の街では、漢人が入植。

男性がウイグル人女性と結婚することが奨励されています。

 

ウイグル人両親の子は、親を失ったまま中国当局に保護され、徹底した「漢人教育」を施され、そののち「養子」と言えば聞こえはいいのですが、人身売買に近いことが行われています。

 

これくらいの内容なら1~2回、2~3回のブログで綴れそうです。

 

 

 

また、「旭日旗」とは何か、それにまつわる問題についても過去ブログで述べていますが、今月10~14日に済州島で開かれる韓国主催の観艦式に、『旭日旗の掲揚自粛』を要請された海上自衛隊は参加を見送りました。

これも1~2回のブログで綴れそうです。

 

しかし、1つの歴史のテーマをブログで綴るには限界があります。

特に多角的に見ていく場合には。

 


私は自身のキャパシティから、こちらアメブロでは「コメント欄」を使用しておらず、フェイスブックで質問・ご意見を伺っておりました。
しかし、そのフェイスブックでも投稿内容より、個人的に私と親しくなりたいとメッセンジャーを濫用する方が多く、苦慮しておりました。

今回よりしばらくこちらのコメント欄をオープンに致します。

フェイスブックでは

・書籍化してほしい

・ミニオンライン講義

・Skype/zoomを使用した個別講義・Q&A

 

などのお声をいただいておりました。

基本的なことは書籍(文字)で、特定のマニアックな?テーマは特定の方のみご欄いただける動画がよいのかもしれません。

 

 

返信はできないかと存じますが、みなさまのご意見をお待ちしております。

大英帝国の19世紀と称しながら、ここ3回はオスマン帝国を中心に中東・北アフリカ・バルカン半島の情勢について書いてきました。

19世紀に実に多くの戦争を繰り返したイギリス。

ここでは書いておりませんが、北米でもアフリカ大陸でも行っています。

 

清(中国)では徹底的な破壊・殺害が繰り返され、やがてそれは中国内部から異国と異民族王朝を倒す動きと発展していきます。

イギリスは中国で奪うべきものを奪った後、次に目を付けたのは中国人を異国に働きにいかせるという事実上の奴隷貿易を行いました。

北米では黒人の奴隷貿易が世論上反対される中、まだまだフロンティアの開発に多くの人材が必要でした。
そのための代わりの人材として、ダイナマイトを扱うような危険な仕事を中国人にやらせたのです。
それ以前に渡航中に亡くなる人も少なくなかったのです。

こうして世界に散らばった中国人は華僑となっていきました。

イギリスの直接統治下になったインドでも、多くの人が印僑として海外で働く人材となりました。

アフリカの「ナイジェリア」、南太平洋の「フィジー」など、「あれ?」と思うようなところに偏って多いインド系の人が多いところはそういった由縁です。

 

また、勇猛なインド人はイギリスの戦闘の先陣で戦わされる兵となりました。
彼らは戦いたかった訳ではありません。
「アヘン戦争、太平天国の乱に参加したら、独立・解放される」

と言われていたのです。

これは第2次大戦の時もそのように言われ、マレー・シンガポールなどで先陣に立たされました。

 

多くの戦利と引き換えに、イギリスはイギリス兵の命や損害も被っていました。
日本が武力によってではなく、経済的に丸め込まれ、いずれは傀儡国にしようと目論んでいたとは言われ、かなりラッキーであったと言えるでしょう。

 

 

そんな戦争を繰り返していたイギリスが、19世紀に1つの大きな転換を迎えます。

それがオスマン帝国を味方することを口実に乗り出したロシアとの戦い「クリミア戦争」でした。

 

 

日本では徳川慶喜が初めて手に取るカメラに大喜びしていた時-イギリスでは海底電信のおかげで戦況が刻一刻伝えられるようになったのです。それもカラーで、です。
 

ほぼライブで伝わる戦況にイギリス人は夢中になり、おかげで識字率も向上したほどです。
正確な写真は、ロシアに有利に働くこともあり、ヴィクトリア女王も歯がゆい思いをしたようです。



そしてもう1つ、軍事医療の改革です。

かのナイチンゲールはこのクリミア戦争で看護師として活躍した人なのです。

もともと裕福な家庭に育った彼女は、両親から与え得る教育を受け、いくつもの語学にも長けていました。
その彼女はクリミア戦争に向かった際には、イギリス軍は

「女性がいると軍の風紀が乱れる」

と、兵の看護を拒否しました。

そして、彼女がやらせてもらえたのがトイレ掃除だったのです。

それでも彼女は挫けず、そこを軍の突破口とし、看護をするように至ります。
彼女は兵士が戦闘の負傷で亡くなるよりも、その後治療が施されずに放置されていました。

ロシアよりフランスより、イギリス人兵士が一番多く「壊疽」になっていました。

また、衛生的ではない環境で感染症が多く発生していました。

 

 

このような環境の中、彼女は敵・味方区別なく看護にあたったのです。

よくこのような女性を女性性のみをクローズアップし「優しい」「献身的な愛」と表現しますが、彼女は非常に聡く精神的にも強い人でした。

帰国後、戦地での負傷・看護の諸処のケースをグラフにし、プレゼンしたのです。

男性社会で明らかな差別を受けても、それに耐え、その間に状況を見抜き、いざという時に真価を発揮。

そして、その後内容を統計学を駆使し、納得させる…そのくらい優秀なビジネスパーソンだったのです。

彼女の職業の1つとして「実業家」とあるのもよくわかりますね。

これを機に世界中で軍事医療の在り方が見直されるようになり、兵舎病院、陸軍の衛生改善が行われ始めたのです。