わたしは「赤ずきん」という本を読みました。

 

 わたしはあんまり読書が好きではありません。お友だちとあそんだり、お父さんのパソコンをかりてユーチューブの動画を見るほうがたのしいと思います。でもお母さんは「もっと本を読みなさい」といつもいつもうるさいです。べんきょうは学校でちゃんとしてるし、本なんかべつに読まなくてもいいじゃんと思いますが、お母さんに無理やり図書かんにつれていかれたので、しょうがないので一冊だけ、この本をかりました。なぜこの本を選んだかというと、てきとうにえらびました。


 この本では、赤ずきんという主やくの女の子が一人で、びょうきのおばあちゃんのお見まいに行ことします。おばあちゃんの家は森の向こうです。赤ずきんのお母さんは「より道をしたらいけませんよ」とちゃんと言って送り出したのに、赤ずきんは、道のとちゅうで出会ったオオカミにそそのかされるまま、お母さんの言いつけをやぶりました。そのせいで、大すきなおばあちゃんも赤ずきん自身もとてもこわい思いをすることになりました。

 

 わたしは、赤ずきんというのはなんてバカな子なんだろうとあきれました。あんな目に合うくらいなら、はじめからお母さんの言うとおりにすればよかったのに。お母さんは赤ずきんより大人だから、より道がいけないことや、森は危ないんだということを知っていたのです。

 

 だけど、ふ、と考えました。あとからふり返ればちゃんとわかることでも、そのときに正しいはんだんをするのはちょっとむずかしいと思いました。わたしにもギクッとすることがあります。あのときも、あのときも……。あとになって後かいした出来ごとが、いくつも頭にうかんできます。

 

 あれ。いろいろ思い出しているうちに、わたしのおかあさんに「やめなさい」「こうしなさい」「本とうにそれでいいの、よくかんがえなさい」と言われたことも思い出してきました。わたしがまちがったことをしようとしているときに、お母さんは注いしてくれていたのです。わたしはどうしてお母さんの言うことをちゃんと聞かなかったんだろう。ただうるさいなあと思ったり、目の前の楽しうなことにすっかりむ中になったりしていました。お母さんはちゃんと分かっていて、わたしのために言ってくれてたのに。

 

 本が好きではないというわたしに、「もっと本を読みなさい」とうるさいのも、実はあい情だったのかもしれません。今は分からないけど、いつか本を読まなかったことを後かいする日が来るのかもしれません。お母さんがわたしのために正しいことを言ってくれているのだと信じて、もっと本を読んでみようかなと思います。……いいえ、そうじゃなくても、本を読むって意外とたのしいかもしれないとも、わたしの心が思いはじめています。お母さんのおかげでこの本を読むことになりましたが、読んで本とうによかったです。

 

 わたしは「赤ずきん」を読んで、赤ずきんのお母さんもわたしのお母さんも、きっと子どものためを思っていろいろ言っているんだと気づきました。子どもなのでお母さんが本当に伝えたいことに気づけずに反こうしてしまうこともあるけれど、お母さんの言うことはお母さんのはあい情です。ついほかのことにむ中になってわずらわしくかんじても、お母さんはきっと正しいので、なるべく信じてみようと思いました。わたしは、お母さんがどうして読書をすすめてくれているのか、本当の気もちはまだわかりません。でもわたしは、お母さんの愛じょうを信じて、読書をしてみます。しかも読書はけっこうたのしいので一石二鳥です。 

 

 このように、「赤ずきん」はわたしの考えを変えてくれました。この本に出合えたことは一生わすれません。