べんちゃーたいちょーは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を手に取った。
それは決して、2525団のマネジメント方法に対する悩みを解消したいわけでも、
会社で話題に上がっていたから置いていかれたくない焦りからでもなく、
「2010年日本で一番読まれた」ライトノベルということで、「とらドラ」の一種か何かと勘違いして手に取ったまでだ。

そんな勘違いから始まった「もしドラ」との付き合いだが、読み進めるうちにべんちゃーたいちょーは目から鱗がこぼれる思いがした。
それは、汗と涙の青春物語だからというわけでもなく、ドラッカーの思想に感動したからでもなく、
”物語中、主人公が野球部を強くするためにマネジメントを基に取った手法の数々が、
ボーイスカウトにおける指導法にそっくり”だったからだ。
それはあたかもベンチャーたいちょーに、”ドラッカーは元ボーイスカウト”だったのではないかと錯覚させるほどであった。

小グループに分けて競わせる。各グループ内で、メンバーに対して役割担わせる。
など、ボーイスカウトを経験していれば普通のことがそこには書いてある。
そう、べんちゃーたいちょーは感じた。

ところで、べんちゃーたいちょーは会社の昼休みに、○経やダイ○モンド社といったサイトのコラムを読むことを楽しみにしている。
そうしたコラムには「チームマネジメント」や「リーダーシップ」といった言葉があふれている。
それらのコラムを読むにつれべんちゃーたいちょーは納得する面があると同時に複雑な思いを抱くことがあった。
それは、「もしドラ」を読んだときと同じ思いであった。

そこにはボーイスカウトを通して身についているはずの考え方や経験含まれているからだった。
そして、そうしたコラムのどこにもボーイスカウトと言う言葉は見当たらない。
それは、マネジメントやリーダーシップに関する教育分野において、
ボーイスカウトの存在感が薄くなっているということ他ならない。
そう考えると、べんちゃーたいちょーは自分が今たいちょーとして活動していることに一抹の空しさを感じるのであった。

よき社会人になるための教育の場を目指すべきボーイスカウトが、本来その手法を参考にされるべき分野
において全く存在感を発していない。
これは、今のボーイスカウト活動の中で、何か大切なものが欠けているからではないかと、べんちゃーたいちょーは思った。
そんな思いを胸に2525団の活動を省みたときに、第一弾動画での「誠実じゃないなー」コメントが頭に浮かび、
「あぁ、真摯さが足りないのか」とべんちゃーたいちょーは納得するしかなかった。



文体模写は難しいと言うことが良く分かりました。
なお、上記文章にはフィクションが含まれます。
あしからず。

サブカル作品を通して、ボーイスカウトというものを自分なりに解釈してみようかと思います。