これまでの軌跡③大学、社会人〜深く刻まれた傷
『プロフィール②小中高〜私は人とは違う』『プロフィール ①幼少期〜心理的ネグレクト』こんにちは、くるみです🌙*゚私の生い立ち、現在なぜブログを発信するに至ったのか。そこら辺を詳しく書いてみようと思い…ameblo.jpこれまでの軌跡②小中高〜私は人とは違うからの続きになります。高校から仲良くしていた子と同じ大学に進むことになった。最初は新しい環境に新しい友達ができたこと。楽しく通っていた。しかし次第に、高校からの友達と一緒に都内まで通学することが、段々苦しいなと思うことが増えた。明らかに、人の感情のゴミ箱になっている感覚があった。それでも、離れることもできなかったし、NOと言うこともできなかった。埼京線、山手線の朝の電車ラッシュと言ったらすごかった。段々と電車で具合が悪くなる日が多くなった。そして大学2年の夏を前に、急に電池が切れたように「もう行くの辞める」そう言って大学を退学した。もちろん親は大反対だった。親戚どこを見たって、大学卒業していない人はいないから。「みっともない」そんな言葉も刺さらなかった。それよりエネルギーがない。動けない。でも友達はみんな大学に行くか仕事しているか。何もしていない人なんていないんだから、早くに仕事を探さなくてはと、いくつか面接を受けた。愛想が良かったためすべて採用となった。その中でも誰もが知る大手企業なら、親も納得してくれるだろう。そういう思いで有名な企業に就職した。悲劇のはじまり。──────会社に入ってすぐに、一回りも違う男性から声をかけられた。そして熱烈なアプローチがはじまった。全然タイプでもないけれど、押しに負けて付き合うことにした。付き合った途端、その人の態度は急変。職場の人たちの手前、「そっちからオレに話しかける構図を作れ」仕事のことで男性と話すと内線が鳴るようになった。こんなことではやっぱり付き合うのは無理だ。「別れる」そう言った途端、男の言動は更にエスカレートしていった。「帰りは電車は使うな」「俺の営業車で帰れ」強制的に車に乗せられた。車内では、「別れないよな?お前が別れないって言うまでこの車は止まらない」泣いたり黙ったりすると、「なんで別れないってただそんなことが言えないんだよ」という怒鳴り声とともに車は猛スピードで走り出す。怖くて怖くてとにかくこの男の怒りを鎮めなければいけない。でも付き合い続けるとも言えなかった。その恐怖の中で、「こんなにもスピードが出ているけれど、ドアを開けて外に身を投げ出したい」そんな危険が頭をよぎるほどに、私は追い詰められていた。この男から逃げたかった。仕事が終わって、男にバレないように駅に向かったこともあった。職場から駅までは5分。5分だけ見つからずに、駅まで行けたら大丈夫。お店の中を通ったり、人に隠れながら何とか駅に着いた。「助かった」そう思った瞬間、首を掴まれ、車へと引きずりこまれた。「お前がこういうことをするから」「大人しく言うことを聞いてればいい」また他の日は、「ホテルに行ったら帰す」と言われ、私は拒否をし続けた。定時の18時に職場を出てから何時間も泣きながら拒み続けた。時刻は23時を過ぎた。つかれた。心があるからいけない。ロボットになればいいんだ。ホテルの中に入ることを決意した。受付のおばさんは、こんなにも私の泣き腫らした顔、見てない?異常を感じない?「助けて」の視線を送ったけれど、届くことはなかった。これは、自分の足でホテルに入った。だけど、そうするしかなかったからだ。行かなければ更に恐ろしいことになる背景があったから。その後もこんなことが複数回。室内に監禁されることもあったし、車内で殴られることも何度も。警察に被害を出していれば、おそらく男は、暴行罪傷害罪脅迫罪監禁罪不同意性交罪このくらいの罪はあったと思う。でも警察に相談するとか親に言うという選択肢は持てなかった。親が味方をしてくれるなんて思えなかったから。それに更に男の行動がエスカレートすることが怖かった。こんなことが半年くらい繰り返された時、仕事に行く電車で具合が悪くなった。立てなくなり、めまいがして気分が悪くなって…ようやく仕事を辞めよう。体が限界を迎えてようやくその決断ができた。大学を辞めた手前、仕事もすぐに辞めるなんて許されないと思って、何がなんでも通い続けた。でももう無理だった。仕事を辞めた後、どんどん体調が悪くなった。病院に行ったわけではないけれど、パニック障害やうつ病、PTSDなどがあったと思う。だけど若さなのか、この時は普通に友達と遊べる時もあった。完全に家から出られないとかではなかった。何ヶ月か休んで、もう次の仕事を見つけていた。その仕事をしている時に、夫と出会い、トントン拍子で結婚妊娠した。20代前半で、私は母になった。