心に刺さった矢は、なかなか取れないものですね。

 

 

自分のことならば突っぱねたり、標的となった事を払拭してやるーっと躍起になることもできるのでしょうが、自分以外が標的では努力のしようもありません。
 
 
それ私じゃないから!と第三者のように知らん顔していられればいいのでしょうが、我が子や亡き夫など家族のことを言われたらやっぱりそうもいきませんよね。
 
 
悪意をもって言われたのかどうかわかりません。
嫌味なのかどうかもわかりません。
マウンティングなのかもわかりません。
 
 
でも、その言葉は矢となり確実に私の心に刺さったのです。
しかも毒がゆっくりと効いてくる。
 
 
 
弱っちいなぁ わたし…
 
 
 
先日書いたように、こんなことがあってね!と
パートナーに泣きながらぶちまけることができたら、なんてことない些細なことだとも思うのですよ。
でも、それができない。
 
 
この数日悶々としましたが、皆さんのブログをたくさん読んで気づきをいただいたり、たまたま今読んでいた本からヒントを得たりしました。
 
 
きっと少なからず自分でも感じていたことだったのでしょう。
そうだとしても、理由もわからないくせに関係のない他人がズケズケと踏み込んで知ったような口をきいたから、悔しかったし悲しかったのだと思うのです。
それが傷をより深くしたのだと気づきました。
自分の意識の中にも既に問題となった標的の種があり、もともと見えない傷がついていたということです。
 
 
 
一生かかるかもしれませんが
自ら矢を抜き解毒していくしかありません。
 
 
 
 
なんのこっちゃ、さっぱりわからないと思いますが
大丈夫、頑張ります!ということです。
 
 
負けていられない
 
まだ心の傷は疼きますが、そう思いました。