絶対的な喪失を知る者が感じる絶望は壮絶だ。


ある日突然、脳がブレイカーを落とした。これ以上いったら死んじゃうよって全ての動きを遮断した。
思考はもちろん、食という概念もない。
そう、食という概念が一切失われたのだ。
食べたくないとか食欲がわかないとかそういうことではない。食って何?食べ物って何のこと?という感じで、口の中に物が入り噛み砕いて飲み込むなんて、思考のどこを探しても見つからない状態なのだ。あっという間に痩せ細った。

飲み食いなし。だから排泄欲求も感じない。
横たわりただ息をしているだけ。

かと思うと 小さい音には敏感で時計の秒針がたまらなくうるさい。光も見たくなくてカーテンは閉ざしたまま。脱水症状だったのだろう、肌は乾燥して触るとパラパラと白い粉が落ちてきた。このまま廃人になるのかもしれないと感情も無く天井を見つめていた。

しかし、子供が学校から帰宅すると涙がポロポロ流れ、ただただ申し訳なくて… 子供と手を繋ぎ その時だけが唯一安心する、そんな日々。


それでも私はうつ病を疑わず更年期障害だと思い婦人科へ助けを求める決死の電話をかけた。Dr.は私のSOSにすぐに心療内科の受診を勧めた。心療内科医院の電話番号、診察時間、病院の様子、先生の人となりまで教えてくれた。
「今、心療内科はすごく混んでいて、予約は1週間待ちらしいからすぐに電話してね。私の名前出してもいいからね。」とまで言ってくれた。

こうして私の心療内科通院が始まった。



生まれて初めての心療内科。
1ヶ月もすると薬効が現れ、次第に思考が動き始めた。

しかしそれは拷問のようだった。自分の思考が自分を痛めつける。トリガーとなった他人の行動や発言はたったの1回だ。だがその行動や言葉を何度も何度も頭の中で繰り返し、心を深くえぐり傷つけ、自己否定を増大させるのは、他ならぬ自分自身だ。

頭をかきむしり、髪を引きちぎり、嗚咽に咽せる。

あーでも、おーでも、わぁあでも、うおおでもない。
食いしばった歯からもれでた体の奥底からの叫び。
ぎぃーともぐぅーとも声にも音にもならない絞り出てくる叫び。
発作のように日に何度もその慟哭はやってきた。

薬でその絶望をやり過ごす。
頓服として処方されたその抗不安剤はすぐに薬効があらわれた。

はっきりと鋭角な輪郭を持った絶望=毒が、薬でだんだんマーブル状に溶けていき、輪郭がぼやけ、最後は形を持たないぼんやりとした曖昧なものに変化していった。心が落ち着いたといえばそうなのかもしれないが、それは極めて刹那的で、心の奥底ではまだ毒が渦巻いている。その証拠に涙は止まらない。
どんなにぼんやりと霧の中で佇むような感覚になろうとも涙は流れ続けた。

それでも子供の手を握っている時だけは心底安心したものだ。涙が止まらず薬で虚ろな目をした私の手をじっと握っていてくれた子。ごめんねと謝り続けた私。

時薬もあり、1年で何事もなかったかのように以前のような生活ができるまでになった。さらにストレス耐性を高めるのに、もう1年…
減薬も終了し、現在経過観察中。
2ヶ月に1度通院している。


当初と比べ物にならないほど、元気になった。
何より笑えるようになった。以前から好きだった美術館や神社仏閣巡りも行けるまでになった。楽しいと感じるときもある。好きな着物をまた着たいなと思えるようになった。
流行りの口紅が欲しくて、百貨店にも出かける。
出かける時は、セミロングの髪をアイロンでまき、ピアスを選び、パンプスを履く。
誰が見ても心療内科に通っているとは思わないだろう。



もうそろそろ卒業かもしれない。



あのループにハマらなければ…