心と体を整える➁ | PADME

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人生を豊かに

食事に集中する

 

 コロナ禍の際、黙食という言葉がクローズアップされる様になりました。皆さんはこの黙食という言葉を今迄見聞きした事がありますか?意味は読んで字の如く、黙々と食べるという事です。 食事中の会話を控えて、飛沫感染のリスクを減らす事が出来るという事で、感染防止策の1つとして、テレビのニュースや新聞に取り上げられ、学校や飲食店等でも黙食が取り組まれたりと、コロナ禍に世間で広く浸透した言葉と言えるのではないでしょうか。

 

 鎌倉円覚寺専門道場での食事は元々が黙食です。食事は食堂(じきどう)で頂くのですが、食堂は三黙堂と言われる私語を禁止された3つの場所の1つ(その他は禅堂と浴室)と定められています。これは専門道場で特に沈黙して自分の心を見つめる、私語を禁止した特別な修行場所です。その定めの為、食事の際は黙食であり、なお且つ食事する者も、給仕係の飯台看も余計な物音を立てて、他者の食事の妨げにならない様に細心の注意を払います。

 

 禅では行住坐臥(ぎょうじゅうざが)日常の生活あらゆる場面の1つ1つを疎かにせず、丁寧に行じて行く事を重んじています。三黙堂の3ケ所は、毎日使用する場所なので気が緩みがちになりますが、日常生活の全てが修行であり、いかなる時も気を抜かずに行じてゆく、食事を頂く事も大事な修行の1つになります。禅では喫茶喫飯(きっさきっぱん)、茶(さ)に逢(お)うては茶を喫し、飯(はん)に逢うては飯を喫す、という言葉があります。

 

 これはお茶を頂く時には雑念を交えず余計な事は考えないでお茶を頂く、ご飯を頂く時も同様にご飯を頂く事に集中するという意味です。例えば、御厚意でお茶を出して貰った時に、お茶よりはコーヒーの方が良かったなあと思ったり、夕食を食べている時に、明日の仕事の事を考えたり、スマホを見ながら、食事よりも友人や知人との会話に夢中になったりと、この様になってしまえば、本来すべき味わうという行為を疎かにしている事になります。

 

 しっかりと味わう事で、食べ物に向き合う事が出来、大地の恵みやその食物の生産者、或いは調理した人に感謝の念が自然と生まれて来るものです。

 

萬善寺