PADME

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人生を豊かに

心と体はひとつ

 

 礼儀の礼に拝むと書いて、仏教ではらいはいと読みます。日本人の挨拶は基本的には礼儀や労いを重んじるお辞儀の文化です。言葉を述べる作法を辞儀(じぎ)と言い、これに接頭語のおをつけて丁寧な表現にしたものがお辞儀です。この言葉は挨拶を意味し、特に仏様や先祖への挨拶には礼拝を行います。挨拶には様々なものがありますが、心があっての所作ですから、その形は相手を信頼し、危害を加える意思がない事を表明したものであると考えられます。

 

 海外の多くは握手するのが一般的な挨拶です。近年では欧米化ばかりが進んでいる感じですが、やはり今一度、日本の文化、綺麗なお辞儀を見つめ直す良い機会です。私たち僧侶の挨拶は合掌して頭を下げます。これを問訊(もんじん)と言います。感謝、思いやりの心の表れです。より丁寧なお辞儀の姿です。人と人、体と心が瞬く間に離れて行ってしまった、今だからこそ、生かされている命に感謝し、周りを敬うこの合掌、問訊の形こそ大事であると思います。

 

 まず姿勢を正して両手の指をきちんと揃え、両手のひらをぴったりと真っ直ぐに合わせます。腕を胸に近づけず、肘を腕下から少し離れて、指の先が顎下に対する様にします。そうして頭を下げましょう。なぜこの様に礼拝を大切にするのでしょうか。相手に対して頭を下げたりかがみ込んだりする行為は、見方によっては謝罪であったり服従であったりしている様に見えるかもしれません。しかし仏教ではそう考えません。仏法の真髄は礼拝にあるとされます。

 

 誠の心で礼拝出来る者が仏様の教えの真髄を知り、仏法を伝える人となるのです。そして礼拝の行われる所に菩提の道が開かれます。私たち日本人が電話をしている時、相手が見えなくても気付いたら頭を下げている自分がいます。これも相手を慮り尊ぶ、つまりは思い遣りの形でもある訳です。知らないうちに仏教的な生活や文化、習慣が体に染みついているのです。素晴らしい事だと思います。心と身体は一つ、形をしっかりとする程、心は自然と落ち着きます。

 

 礼拝は合掌の形から行います。両手を合わせる事は相手への敬意を表すだけでなく、自分の心の全てを曝け出し人や仏様と向き合う事に繋がります。

 

萬善寺