9月2日(土)20時30分頃、帰宅して犬猫へのお土産が入った袋を手に持って車から降りた時は、いつも通りの夜が待っていると信じて疑いませんでした。
月末月初は特に仕事が忙しく、数日間、ろくに犬達に構ってやれていなくて、
その日の朝は、請求書と給与の計算を徹夜でやって迎えました。
そのまま徹夜明けでシュッツとコホルの散歩に行き、動物病院から(熱中症対策として夏の間は)散歩を止められていた まもるを部屋の中で遊ばせてから家を出ました。
5月半ばから仕事では内勤者が俺1人になり、プライベートでも同居人が朝6時〜夜22時位まで帰って来れない仕事を始めた為、
会社の中の事全てと、家の事の殆ど(犬猫の世話は全て)を1人でやるようになっていて、
看板犬達はつい最近まで
こんな感じで会社に居たのですが、
7月に管理会社から、事務所としての用途外使用になるから、もう犬を連れて来るなと言われて看板犬は出勤できなくなりました。
それ以来、俺は在宅で仕事して会社でしか出来ない事だけ会社に行ってやるという業態になって行きました。
なので、その日も在宅で仕事しようかと思いました。土曜日だったし。
しかし、翌週からシュレン(仮名)の紹介で入社する社員の制服が午前中に届く日でもあり、その社員が同棲している女性の病院への入退院の都合で入社日が未定であった為、
制服の受け取りの遅延によって彼の入社日が遅れてしまっては可哀想だと思い、制服だけ受け取ったら帰宅して在宅ワークするつもりで会社へ行きました。
何の事は無い。彼は僅か10日の勤務だけで無断欠勤して、そのまま飛んでしまった為、そんな人の事を気遣い、あの日会社へ行ってしまった事を心底後悔しているし、
荷物を受け取ったのは11時だったので、せめて、、その時点で予定通り帰っていればと、、自責の念から未だ逃れられないでいます。
しかし、その時点では2台のPCで其々ファイルを開いて作業していたし、机の上は書類と帳票でいっぱいでした。
(ひと段落するまで、やってから帰るか、、)
その判断で取り返しの付かない事になるとは思いもよらず、、それから暫く仕事に没頭していましたが、徹夜明けだった事もあり、、いつの間にか寝落ちして数時間、泥のように眠ってしまいました。
帰宅してドアを開ける手前からシュッツとコホルが普段以上に吠えて騒いでるのが不審でしたが、犬達がいる部屋を開けた瞬間、室内が暑い事に気付きました。
(エアコンが切れてる、、!!、、どうして!?)
瞬間的な停電があったのか、リモコンを猫が踏んでしまったのか、、徹夜明けの自分がボケて切ってしまっていたのか、、理由は未だ判りませんが
とにかく、、ずっと付けっぱなしだった筈のエアコンが切れていました。
まもるを、、抱き上げた時は既に手足が固まっていました。
水を飲まそうとしたけど、反応は無く、、
シュッツとコホル、、猫達もいるからエアコンの再稼働と水が無くなっていた給水器への補充だけやって、近所にある、かかりつけの動物病院へ走りました。
病院まで車で5分かかりません。
もう手遅れ?いやまだ分からない!
、、と自問自答を繰り返して、その5分がとてつもなく永く感じました。
副院長先生が当直で居て、すぐに診てくれたけど、瞳孔が開いて死後硬直もしているから最早、手の施しようが無いとの事で、
死因は熱中症でした。
まもるの犬種はフレンチブルドッグ、、暑さに弱い犬種です。
当然、知っていたのに、、俺の不注意で死なせてしまいました、、
護ってやれなかった、、
まだ一歳だったのに、、、
連絡した同居人が病院に駆け付けて来た時、俺は、もう会社経営なんかやめてしまいたいと言いました。
残った犬猫達だけを連れ、他は何もかも捨てて、、知ってる人間が誰も居ない土地へ行きたいと思いました。
自由人で根無草のような半生だった俺は、いつでもそんな風に出来るように、、という思いが捨てきれず、家を買わずに賃貸暮らしを続けていたんだと、この時、自覚しました。
、、だけど病院で綺麗にして貰い、段ボール製の棺桶に入った まもる を連れて帰宅した時に思い直さざる得ませんでした。
同居人は、帰宅してから何もせず、ただ、まもるの棺桶の側にいて離れませんでしたが、帰ったら残った子達の世話をしないといけませんし、
月初だったから給与と請求の計算を仕上げないといけません。
だから無気力になっている暇はありませんでした。
カネを稼がないと生きていけないし、猫3匹と残った犬2頭の面倒も見れません。
そして、彼等の世話をするなら経営者を辞めて勤務時間に縛られてるサラリーマンに戻るのは得策ではない、、とすぐに思い直しました。
翌日、動物病院に紹介して貰った春日井のお寺で、まもるの葬式を行いました。
お寺に向かう直前、義弟犬達にお別れの挨拶をさせましたが、彼等も、、
特に小さな頃から一緒に過ごしたシュッツは悲しそうな声で鳴いていました。
しかし、火葬してお骨になった まもるを、すぐには埋葬できず連れて帰って来ました。
気持ちの整理が出来るまで一緒に居たかったから、、
同居人は、もう使わないんだから捨てたら?と言っていましたが、、まもるが寝ていたゲージを綺麗に掃除して遺骨に遺品、、大好きだったオヤツ等を供えました。
まもると遊んでくれていた猫が、暫くの間ゲージに寄り添っていました。
まもるの遺体に向かって悲しく鳴く義弟犬や、お骨になった まもるに寄り添う猫の姿を見て、動物にも心があるんだと感じて胸が熱くなりました。
、、あれから3ヶ月以上経ちますが、まもるのお骨と位牌に毎日手を合わせて、
遺骨の一部が入ったペンダントを入浴の時以外は、肌身離さず身に付けています。
今まで、自分がどんな状況になっても這い上がって来た俺も、
失った愛犬の命は2度と戻らない、、もう、、膝に乗っかって来た まもるの頭を撫でてやれないし、遊んでもやれない、夏が終わっても散歩に連れて行ってもやれない。
、、という事実の前にはどうしようもなく、、日中は忙しさに救われていますが、
毎朝毎夕、、まもるに手を合わせる時と就寝の時は深い悲しみに襲われます。
夢にまもるが出て来た事も数え切れません。
、、まもるが亡くなってからは以前よりも犬や猫とのコミュニケーションの時間を取るようになり、仕事で無理をする事も極力控えるようになりました。
残されたシュッツとコホル、、そして猫達がストレスなく暮らせるよう、庭付きの家を建てる為に土地を買いました。
家が建つ来年の秋〜冬頃には「根無草」も卒業です。
同居人、、元パートナーとは袂を分ったので毛深い子ども達と引越します。
、、この悲しい出来事が起こった頃は、徹夜や過労が祟り、短期間で3度も車が大破するような事故を起こしていました。
まもるの事が無ければ自身が事故か過労で倒れて命を落としていたかもしれません。
だから、、まもるが身代わりになって俺を救ってくれたんだと思っています。
俺を護ってくれたのだと