昨年5月に亡くなった母。



毎日土鍋で炊いたご飯を


写真の母にドヤ顔でお供えしてます。



そんな私にはなかなか顔を見せない


くせにー



父の(施設の)部屋には


この頃姿を現すらしい。



「泊まってけって言うんだけど、


すぐどっか行っちゃって


姿見えなくなるんだよ」と


残念そうな父。



迎え火や送り火なんて


わかんなくなってる父の元に


それでも母は会いに行ったんだと


思うのです。




「相変わらず、ラブラブだね」と


返事して、


ちょっと羨ましいような…



母に会える父が。


ずっと思い合える両親が。




そんな父を、


「おふくろと同じレビー小体型


(幻視が症状の一つ)が入ってきた


のかなぁ」と、弟は冷静に分析してる。




だとしたら、泊まっていけよと


言える父には幸せな幻視だと


思うんだけどなぁ。




逢いたい父と、


心配して逢いにきた母の


現実のひとコマだと、


思うのです。





コロナ禍で、いつでも自由に


父に会えるのは母だけだもの。




ただ、すぐどっか行っちゃうのは


父にも可哀想かな。




あっ!


美味しい土鍋ご飯を


食べにこっちに来てるのか⁈




皆があちこちにバラバラに


暮らしている上、


新型コロナで、一周忌どころじゃ


ない家族に、



「まったくしょうがないわね、


いいわよ、私の方から行くから‼︎」


って、ぶつぶつ言いながら



動き回ってるんだろうなぁ。



家族のためなら、


ほんとに千の風になっちゃう母


だから。