梨と桃
母が生きていた時は
夏になると決まって送ってきた。
晩年は、
とても食べきれない量を送って
きたりするようになってた。
ありがたいより、
なんで多すぎるってわからないの⁇
と、イライラしてた。
(親の認知度が落ちてくることを受け止められなかったんだろうな、私が)
多すぎるよーといくら言っても
結局は自分が送りたいだけ
手配しちゃって、届く。
食べきれない罪悪感と
イラつく感情の罪悪感
勝手に感じてた。
近くに住む義父母は
認知症ではないけれど、
耳も遠くなり、会話を理解する
ペースが遅くなってきた。
そんな両親にイライラしてる
主人。
それでいて
おいしいお店見つければ
連れて行こうとするし、
土鍋ご飯、おいしいから
持って行ってやってくれとか
言ってくる。
あっけなく逝ってしまった、
私の母を見てるから
元気なうちに…と思うらしい。
そうだよね。
身体も元気なうちに
記憶も確かなうちに…
してあげたい…そう思うよね。
でも、形に残るものは
いくらやったとしても、
もっとこうしたらよかった、
あんなこともできたんじゃないか
あれも食べさせて、
あそこにも連れて行けばよかった…
そんな後悔は次々溢れてくる。
ただ時間と共に
落ち着いてきた気がする。
母が亡くなって、一年が過ぎても
変わらず燻り続けて
時折ちくっと心を刺すのは、
同じ話でももっと耳を傾ければ…
もっと優しい言い方をすれば…
もっと素直に喜べば…
もっと素直に甘えれば…
もっと頼れば…
そんな、
ものではなく、思いです。
私が謝っても、
母は「何言ってんのよ」って
あっけらかんと笑うだろうけど。
この小さな刺のような後悔を
私はきっと気の済むまで
握ってるんだろうな。
(そう、この刺、無理に抜かなくて
いいかなって思うから)
昨夜は水瓶座の満月🌕が
とってもきれいに見えました。
満月には感謝するといいらしい。
「ありがとう」