母が刺し子をした父のランチョンマット
最後の手作り品、になるのかな
編み物や洋裁が好きだった母だけれど、ここまで来るのは大変だった
はじめてはすぐに飽きて
上手くいかないと怒り
図案からずれてもいいよとなだめたり
三分の二くらいは刺したのでいいかな
一ヶ月以上かかったし、ここらでお手上げ✋😵✋
(まっ、父のものだし完成しなくてもいいや)
認知症の母が上手くやれないことや出来ないことが増えてきて
それが下のことだったり
食事のことだったり
注意しても工夫しても
それはゴッソリ無かったことにされる
こちらのご機嫌が良いときなら、仕方がないと思えるけれど
そうは行かない日だってある
そんなイライラをギリギリ我慢している日も
失敗した母が何も無かったように話しかけてくるのだ
不機嫌なら「さっきのこと、分かったの?💢😠💢」と言いながら思いだし怒りが始まる
大不機嫌なときは、ネチネチしつこく数日間も、母にイライラをぶつけてきた
でも今は
何も無かったような母に乗っかることが出来るようになった
そりゃあ、イライラネチネチしちゃうこともあるけれどね
イライラネチネチを「イラッ💢」一回で終わりに出来るようになると
「ネチネチしなかったね」と自分を誉められるのだ
誉めると怒る、は同時に出来ない
(竹中直人さんの笑顔で怒るは芸術だよね)
イラッ💢、一回で止めるためには
私が、イライラネチネチ思いだし怒りをする人だと認めるしかない
本当は人に言わないで認めた、としたいところだけど、それは「隠している」ってことなんだよね
認めるためには、その根っこを見つけてあげるといい
そうすると、恥ずかしい自分に「仕方ないよね、あれしか出来なかったよ、分かるよ」と言ってあげられて、隠さなくてもよくなるから
私の根っこは
「どうせ私のことは分かってもらえない」
だから
「やっぱり分からない」
が見たくて何度も何度もネチネチと怒りをぶつけてしまう
イラッ💢、を一回でやめられると
私が私を分かってあげられた、と言うことなので
「どうせ私は分かってもらえない」はちょっと変わる
いつも上機嫌でいたいけれど
不機嫌は自分を癒すことができる
どんな日もダメな日はない、と思えた日曜日、つかの間、太陽が見えた
いつもありがとう、母さん
読んで下さって、ありがとうございます
つくし野ひろみ