おはようございます!(*´▽`*)

昨日はこちらは風が強く肌寒かったですね。

皆さん、どんな週末をお過ごしでしょうか?

 

 

さて、今日は久しぶりに真面目な話し。

私は統合失調症を患う、精神障害者ですが、世の中には様々な障害を抱えている人がいますよね。

身体障害、発達障害、パーソナリティー障害、知的障害、性同一性障害…などなど。

障害者と健常者が共存する、理想の社会ってどんなだと思いますか?

 

それぞれの障害や特性が理解され、障害者が住みやすい社会?

健常者が障害者を支えている社会?

 

私は、障害者健常者両方が、それぞれの特性や持ち味を生かしながら自立し、幸せを追求できる社会だと思います。

 

もちろん、その為には相互理解が必要ですし、まずは相手の病気や障害を知ることから始まるのでしょう。

障害者にできないことを、健常者に補ってもらう、配慮してもらうこともあると思います。

でもそれって障害者なんだから、「配慮してもらうのが当然」なのでしょうか?

私は違うと思うんですね。

自分の病気や障害、特性を理解して貰えたらありがたいし嬉しいですが、そこは強制出来ることではないと思っています。

お互いが共存する、補い合う関係って一方が一方を支えるのが「当然」という関係ではないと思うんです。

だって、障害者がそれを「当然!」とか「なぜ支えてくれないのか!」などと思ってたら、支える側は支えたいとは思えなくなるのが、人の心理でしょう。

そして、支えてもらうことに感謝できる謙虚さに、障害者だからとか、健常者だからという違いはないのではないかな。

要するに、障害者にも健常者にも大切なのは、やっぱり人柄だし人間性なのだと思います。

 

ともすると、障害者はその生きづらさや苦しさから、健常者に「なんで理解してくれないの?」と思いがちです。

まるで障害のことを全部理解してもらえないと、生きていけないみたいに。

でも、そもそもそういう障害者は、健常者のことを理解出来ているのでしょうか?

健常者だって、自分は健康だったとしても、環境や家族、他のことで苦しんでいる場合があると思うんですね。

障害者を支える立場であることの苦労や辛さも。

その苦しさが見えないだけで。

だからこそ、お互いがお互いに対して、見えない部分、わからない部分を慮る必要があるのだと思っています。

そういうことがお互いを尊敬するとか、尊重するということに繋がっていくのではないかなぁ。

 

それから、私は統合失調症としては当事者(障害者)ですが、他の障害に関しては健常者の立場であると思います。

皆さんも、ある一つの障害があったとしても、他の障害に対しては「健常者」といえる部分があるのではないでしょうか。

私はそれが私にはない障害だったとしても、自らの障害に悩み、苦しんでいる人には寄り添って、励まし、同苦できる自分でありたいと思っています。

健常者は、たとえ自分には経験がない苦しみだったとしても、それを知ろう、歩み寄ろうということはできると思います。

そういう気持ちを絶対に持って!とは言いませんが、「障害者には見えない苦しみ、生きづらさがある」ということを理解してもらえたら嬉しいです。

そして、お互いに励まし合い、支え合える関係を結べたら素晴らしいなと思います。

 

障害者も健常者もお互いに幸せになれたらそれが、一番良いですよね(* ´ ▽ ` *)

 

それから、私は障害=不幸とは言い切れないと思っています。

確かに、障害やハンディキャップがある側は、健常者には理解できない辛さや苦しさがあるでしょう。

でも、障害があるからこそ出来ることだってあると思うんです。

私自身苦しんで悩んできたからこそ、出来ること、わかったことが大きい。

障害者は、周りに「ありのままの自分を受け入れて欲しい」と望む一方で、自分は「普通であること」や「健常者と同じように」と拘っている方が多いと感じるのですが、まずは自分自身が自分の障害を受け入れて愛してあげてほしいです。

 

自分の障害を愛する…なかなか難しいことですけどね。

普通じゃなくたっていいんです。

健常者と同じように生きれなくても、それは幸せへの道を外れることではない。

全てのことには意味があり、あなたにはあなたにしか咲かせられない花がある。

あなたにしか築けない幸せがきっとある。

私はそう思います。

 

障害者健常者両方がお互いを思いやり、感謝し、尊敬し合える、そんな世の中になったら素敵だろうなぁ。

そんな世の中になって欲しいです!(´▽`)

 

皆さんは、どんな社会が理想だと思いますか?

 

 

それでは、ここまで。

お読み頂きありがとうございました!