自分のテキトーさを反省しつつ💧
銀閣寺道まで戻りました🚌




銀閣寺の参道を歩くのは

すごく久しぶりです!



いや暑いっ滝汗💦




この日のお目当ては⬆︎こちらです〜


八神社⛩️参道

送り火に点火する護摩木を納めに来ましたウインク


松割木と護摩木の2種類あることを初めて知りました!




こんな風に

五山送り火には

たくさんの方が関わっていらっしゃるんだな…と


なんだか

胸が熱くなりました




明日は晴れそうです!




八神社⛩️の存在も

この時

初めて知りましたびっくり



お参りしてこよう!

あ カワイイ💖


護摩木受付所のにぎわいとはうってかわって

静かで厳かな雰囲気でした✨



帰りに
銀閣寺へ

美しく整えられていますおねがい



500年前

室町幕府八代将軍足利義政により造成された

山荘東山殿を起源としている


義政は9歳にして家督

15歳にして将軍職を継ぐ


生涯をかけ

自らの美意識の全てを投影し

東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す

一大山荘を作り上げました

(HPより)



足利…といえば

初代将軍の尊氏と三代将軍の義満ぐらいしか

存じておらず(-.-;)


足利義満を知っているのは

まんが一休さんで…( ̄▽ ̄;)え



このたび

足利義政について

すこしググりました^_^;



ネット検索すればするほど


義政にのしかかっていた避けられなかった運命に

この銀閣寺を作りあげた思いが偲ばれました




運命のもとで

すこしずつ歯車が狂っていったのかもしれません



もし…なんてありませんが


将軍にならずに生きることができていたら



息子と対立することもなく


もしかしたら

息子の死を見ることもなく


息子と

文化、学問を愛して生きていけたのかもしれない





完成を見ることはできなかったけれど


造営中のこの東山山荘で

茶の湯を嗜むなど

洗練された文化生活を送っていたそうです


義政公お茶用の湧水

お茶の井



義政を調べていたら

日野富子の名前が!


こちらは知っていましたキョロキョロ💧…あの富子


あー

義政の妻はこの人だったのか…と


今ごろ

やっと繋がりました(-.-;)ふ






にわか調べの歴史のため

ネット記事の意図とは全然違う解釈をしているかもしれません滝汗


スミマセン!!




でも

今まで見ていた銀閣寺とは


違う銀閣寺を知ることができました^_^;




義政側から見た歴史

妻 富子側から見た歴史

息子 義尚側から見た歴史


そのまわりから見た歴史


事実は事実としてあっても

全く違う歴史が同時に存在するんだと



教科書からは知ることのない歴史を

垣間見ました




にわか

なんちゃって歴史好きには


いろいろ

ムズカシイですが(-。-;


とても

興味深いです✨



次回は

義政の思いを妄想?!しながら

銀閣寺を見たいと思います(^_-)




銀閣寺をあとにして

哲学の道…


いや

ムリ


この炎天下で

哲学の道は


行き倒れるガーンネガティブ




いよいよ

翌日は

五山の送り火


ドキドキしています!





お立ち寄りくださり

お読みいただいて

ウレシイです!

ありがとうございましたニコニコ