「むむさんのアシスタントはどうじゃ?」
「俺の美術の成績は最悪です」
「それじゃぁ、狸共の店で売り上げの計算でも・・・」
「先生、俺は国語が大好きです」
「遠回しに言うな。・・・計算事も嫌じゃと・・・」
ぬらりひょん先生は書類を、指を舐め舐めめくっていくが、なかなかに俺に合った仕事が見つからない。
「それに子供達の面倒を見ながら働けと言うのでしたら、それなりに自由の利く仕事でないと」
俺は眉間に皺を寄せ、横を見た。
そこには頬を赤らめて正座しているのっぺ君と、ゆうすけ君がいた。
そうである。
先ほどの物音の主はゆうすけ君こと、この白いふわふわしたものであった。
そう、俺は奇しくもゆうすけ君のドラマの中に入り込むような形となったのだ。
俺としてはゆうすけ君の加入は大歓迎であったが、当のゆうすけ君はかなり困惑していた。
どうも彼はつい先日死んでしまった5歳の男の子らしい。
名前も、漢字ではどう書くのか知らないが、ゆうすけ君である。
彼の話を聞く限りでは彼の住んでいた建物の駐車場で三輪車に乗って遊んでいたところ、急に突っ込んできた車に轢かれて死んでしまったらしい。
そして気づけば元の体がなくなって、今のような白くてふわふわした、なんと表現すればよいのか分からない体に変わっていたという。
まぁ、ゆうすけ君の見た目は魂を絵に描いたような見た目である。
人の形はしていなかった。
まだ彼は死んでしまったという事に実感がなく、何故この世を未だにさまよっているのかも分かっていないようだった。
ぬらりひょん先生と相談し、とりあえず彼が成仏するまで見守ってあげる事となった。
ちなみにドラマもほとんど同じような流れで、ゆうすけ君が仲間になる。
ただドラマの場合俺という存在はなく、ゆうすけ君の面倒を見ようと決めるのはぬらりひょん先生の独断である。
ちなみになぜじいさんからいきなり先生付けでぬらりひょんの名を呼ぶようになったのかというと、ドラマ内で先生と呼ばれていたからであり、のっぺくんもそれに同じである。
「そうじゃの。たしかにゆうすけ達の面倒を見ないとならんからの」
「まぁ、先生が面倒見てくれれば万事解決なんですがね」
「そうじゃ、様子を見ながらでも出きる仕事が一つだけ合った!」
あくまで先生は子供達の面倒を見たくないようである。
面倒事が嫌いなのはこの先生も変わらないという事か。
「民宿をやるのじゃ」
「み、民宿?」
:
「ほれ、こやつらが”あしすたんと”じゃ。自由に使うが良かろう」
一人で民宿を経営するには大変だろうと、先生がなにやら不思議パワーで、俺の”あしすたんと”とやらを呼び寄せてくれた。
どうも先生はテレパシー的なパワーを持っているらしい。
さすが妖怪。
「先生、来い、だけでは何の用か分かりません」
そして目の前のやけに目つきの悪い狐が言った。
そう、先生が呼び寄せたのは狐4匹、狸3匹、計7匹の獣達であった。
「来いと言えば来れば良いのだ。どうせおまえ達は暇じゃろう」
どうも先生は短い単語じゃないとテレパシーを送れない様子。
まぁ、世の中そうはうまくいかないという事か。
好きあらば携帯代わりに利用してやろうかと思っていた俺の企みは霧消した。
実は携帯のパケット代等も随分と滞納していたのだ。
きっと今俺のポケットに入った携帯は通信機器としての機能を失っている事であろう。
「まぁ、確かにやる事はないけどねぇ~」
「おい、“とろわ”!私はおまえほど暇ではない!」
一人眠たげでやる気のなさそうな狸が口を挟んだが、目つきの悪い狐が一蹴した。
「“とろわ”?」
それにしてもあの狸は“とろわ”という名前のようだが、どういう字を書くのだろうか。
そもそも狸や狐の名を漢字で書くのか?
「あなたは?」
首を傾げる俺を、目つきの悪い狐がじとっと睨んだ。
狸達はやる気がなさそうなの意外、くりくりとした瞳をしており大層可愛らしい。
狐達も目つきが悪いの以外はなかなかに愛らしい見た目をしている。
彼らのふわふわした毛玉のような体に思わず頬ずりしたくなったが、ここは我慢しよう。
あぁ、狸のなんと愛らしい事か、食べちゃいたいほど可愛らしい。
「そうじゃ、わしらもまだおぬしの名前は聞いておらんかったの。おぬし名前は何という?」
「え、あぁ。田中、といいます」
狸と狐のもこもこに見とれていた俺は反射的に返事を返した。
「下の名前は?」
しかしそこで俺は思いきり口を噤んだ。
俺は幼少の頃より自分の名前が大嫌いだった。
俺の名は今時聞かないものである。
というか実際に聞くとすればギャグマンガの中くらいである。
この名前のせいで小学校時代は散々からかわれ、中学時代は苛められかけ、高校時代は嘲笑われた名である。
できる事なら口にしたくなかった。
絶対俺にとって嫌な反応が返ってくるに決まっている。
嫌だと分かっている事をする道理はない。
だいたい今までの学校生活だって、俺は自己紹介の時からなにから、なんだかんだで下の名前をいうのは誤魔化してきたのだ。
先生だって俺の名を呼ぶときは気を使ってか、名字でしか呼ばない。
「何だ、名前が分からんとなかなかに不便ではないか。はよう言いなさい」
俺は先生、狐、狸、目に見えぬのっぺくんの目、その他諸々に見つめられ、ついに俺は口を閉ざし続ける事ができなくなった。
何年ぶりだろうか、自分の口で己が名を言うのは。
俺は数ヶ月分の勇気を自分の名を言うのに有した。
それほどまでに俺の名前は俺の心に深い傷を残すものであり、トラウマであるからだ。
「ほれ、何をぐずぐずしておる。何も難しい事を聞いとるわけではないじゃろう」
どうしても言わんとならんか!
俺は悲しみの籠もった哀れな草食動物のような目で俺を囲む皆の顔を見たが、返ってきたのは取って食おうとする肉食動物のような目つき。
あの狐はどこまで目つきが悪いのだ!
俺を食う気か!
俺は食べても美味しくないよ!
が、しかし、より一層奴は睨みつけてきたので、俺は口を開かざるを得なくなった。
「お、俺の名前は・・・」
一斉に注目する人々。
いや、人じゃないな、こいつら。
なんと呼ぼう?
いや、そのような事は関係ない。
もういい、もういいのだ、当たって砕けろ!
「俺の名前は田中太郎である!」
風が入らないはずの地下室を一陣の風が走り抜けた。
「そうか、太郎というのか。覚えやすい名前じゃの」
そして返ってきた反応は先生のそれだけであった。
狐や狸はなにやら拍子抜けしたとでも言うように、大きく息をついている。
「なんだ?俺のこのこっ恥ずかしい名前を何とも思わないのか?」
「人間の名前についてなんか僕らは知ったこっちゃないね。それに君の名前よりか僕らの名前の方がよっぽど悲劇的さ」
「あらぁ、覚えやすくていいじゃないのよぉ」
一人の雄狐と、少し年老いた雌狐が話し出したのを皮切りに狐と狸達は口々に話し始めた。
彼らは時折話しながらちらちらと俺や先生、ゆうすけ君を見ている。
「これ、おまえ達!静かにせんか!」
そこを先生が一括した。
なかなかの迫力に狐達はひとまず押し黙る。
「よいか、呼んだからにはそなた達にそれなりの用事があるのじゃ。わざわざ新入りの自己紹介のためだけにわしが力を使うと思うたか」
「思ったね」
ぼそりとやる気のなさそうな狸君が言ったが、目つきの悪い狐にしっぽで口を叩かれ、彼は悶絶した。
どうも目つきの悪い奴のしっぽは柔らかくなさそうである。
「よいか、おまえ達。いつぞやにおじゃんになってしもうた民宿開設計画を今ここで復活する!そしてお前達はここにおる田中君の“あしすたんと”として、民宿を切り盛りするのじゃ!」
意気込んで語る先生、瞳を輝かせる狐と狸達。
ただ目つきの悪い例の狐だけが表情を変えなかった。
「俺は忙しいと言っているじゃないですか。何故俺がこんな人間風情と一緒に民宿なぞ」
「人間風情とは何だ」
さすがにむっとくるぞ。
貴様なぞ俺の手で毛皮にすることもできちまうぞ、あん?
「なにか文句があるような顔だな。なら聞くがおまえは化ける事ができるのか?」
俺がムッとした顔全開でいると、目つきの悪い例の狐が俺をぎろりと睨んだ。
「化ける?」
「そうだ!」
大声を出すやいなや、その狐は煙に包まれた。
なんだこれ、どこかで見たようなシーンだぞ?!
「俺は人間にだってなる事ができる」
そして目を瞬く俺の前には身長2メートル近くある目つきの悪い長身の若い男が立っていた。
「おぉ、こりゃぁ、すごい」
俺は感激した。
本当に狐は化ける事ができるのか!
「何がすごいだ。少しは驚け」
彼は何か面食らったような顔をすると、するすると狐の姿に戻ってしまった。
「なんだ、つまんね」
俺の言葉に彼はぎろりと人睨みきかせたが、俺が口を開く前に先生が口を出した。
「これこれ、口喧嘩はそこまでにしなさい。そうじゃ、おぬし達もこやつに自己紹介したらどうじゃ?」
再び狐達はわやわやと喋くり、一匹の狐が前に出た。
先ほどの少し年老いたように見える、雌狐である。
「私は”すー”といいますの。得意なことは料理で、民宿での料理は私にお任せくださいねぇ。そうそう私最近韓国のドラマにはまっていましてね。韓流ドラマってあなた聞いた事あるでしょ?最近また新しいのが始まってねぇ、それがまた・・・」
「母さん、田中さんびっくりしてるよ。母さんがこの中で一番年上なんだからしっかりしないと」
だんだん早口にしゃべり始めたおばさんチックな狐、“すー”の話を遮ったのは、かわいらしい顔をした狐。
小柄な体を見る限りではまだ子供のようだ。
左右の耳の長さが違い、左耳が少し短いのが特徴的である。
「私は“すー”の娘、”さん”。化けるのはまだまだ下手だけど、役に立つことがあると思う。よろしく」
「あ、あぁ、よろしく」
小さい割にはっきりとした物言いだ。
声をきく限りでは女の子のようである。
なるほど、娘の教育は怠っていないようだな、“すー”さんよ。
「俺も息子、”あー”っつーんだ。よろしくな!」
そして次に気さくに声をかけてきたのが、ツンツンと頭の毛が立っている、狐。
少し細目で、なにやら意地が悪そうな顔をしているが、悪い奴ではなさそうである。
それにしても“あー”とは変わった名前だ。
きっと妖怪やその辺での名前の付け方というのは人間界のものとは違うのだろう。
「俺が長男の”いー”だ。ただ俺は店のことで忙しい。おまえの民宿など手伝う気はかけらもないからな。」
狐達の中で最後に自己紹介したのが例の目つきの悪い狐であった。
彼は右耳に青いスカーフを巻き、なにやらリーダー格のような雰囲気を出している。
確かに彼は何から忙しいのかもしれない。
まぁ、狐と狸が6匹もいれば十分であろう。
それにしても名前が“いー”とは彼も俺に負けず劣らず可愛そうな名を付けられたものである。
「じゃぁ、次は僕らだね!」
そして狐達の自己紹介が終わったところで、狸の彼が口を開いた。
「私は、”あん”」
「僕は”どぅー”」
最初口を開いた彼と、双子のようにそっくりな雌狸が続けて言った。
彼らはなんと愛らしい見た目をしているのであろうか。
ふかふかの毛に、まん丸お目目。
なんと可愛らしい。
ぜひ、もふもふしたいが、ここは抑えろ、もしや彼らは俺の年上やもしれん。
「んで、俺が”とろわ”さ。三人合わせてあん、どぅー、とろわぁっ」
とろわのところでふわりと舞い上がるとろわという狸。
彼がさっきから話に茶々を入れいているやる気のなさそうな目つきをした狸である。
どこか謎めいているが、しかし、なかなかに楽しそうな奴のようだ。
「よし、それでは、職場に向かうとするかの」
みんなの自己紹介が終わると同時に、さっきまで不思議なほど静かだった先生が口を開いた。
こうして俺たちは地下室を出、ぞろぞろと連れ立って町を歩く事となったのである。