俺は大学一回生だ。
つい最近まで平凡と書かれたレールの上をひた走ってきた。
ただ、先日の出来事で俺は大きくそのレールを外れ、非凡な道へとまっしぐらだ。
もちろん平凡な人生っていうのは面白味がないな、と思う事はあった。
それは認めよう。
しかし非凡にも度というものがあってだな。
「もう少しで我が家だよ、君。そこにいけばいくらでも仕事をあげよう」
断じて非凡への第一歩が妖怪と並んで歩く事ではないはずだ。
なぜ俺はぬらりひょんとのっぺらぼうに両サイドから挟まれているのだ。
俺が妖怪好きで、とあるドラマのおかげでいくらかリアルな妖怪に対しても耐性ができているから、こうして頭の中はともかく表情だけは平静を保っていられるのだ。
「まだ早いから他の店は開いてないけど、うちは開いてるはずだよ。さっそく仕事だね!兄ちゃん!」
俺の少し下からまだ幼い雰囲気の残る少年の声。
見下げればそこにある輪郭に顔はない。
のっぺらぼうである。
彼はどうやって話しているのだろう。
「まぁ、そんな不機嫌そうな顔しなさんな。目の前あるものこそ現実じゃ、しっかり受け止めなされ」
というじいさんだが、俺はできればそのいびつな頭は受け止めたくない。
失礼に当たるかもしれんがじいさんの大きな頭は気色が悪い、夢に出そうだ。
「おぬし、人の頭をじろじろ見るな」
じいさんはめがねをキラリと反射させる。
瞬きをした一瞬のうちにじいさんは頭に手ぬぐいを巻いていた。
この無駄な素早さ、さすが妖怪。
「やはり朝風呂はええもんじゃのう」
しかし頭がでかい以外はただのじいさんだ。
やはり動きはあまり早くない、さっきの手ぬぐいを巻く瞬間を除き。
「そうだねぇ、おじいちゃん。朝は人がいないから僕らだって普通に外に出られるし」
どうもじいと子供の話を聞く限りではやはり彼ら妖怪は、あまり人目につかないように生活しているようだ。
「人にあまり見られたくないような口振りだな。俺は普通の人間だけど、見られても平気なのか?」
「見られても平気なような人材を頼んだんだ。じゃなきゃ最初から一緒にお風呂に入ったりしないよ」
のっぺらぼうの少年の言う、人材を選んだ、という言葉。
そうか、素質というのは妖怪と十分付き合っていけるかどうか、というものだったんだな。
先日の夜中、ボロアパート内の俺の城、六畳間に不意に誰かがやってきた。
そいつのノックの音に反応し、ドアの覗き穴を覗くと、そこにはえらく顔色が悪く、なおかつ頬のこけた痩せた男が立っていた。
死霊のようなそいつに俺は情けない事に思わず腰を抜かしてしまうのだが、そいつはドアを開けてもいないのにいつの間にか俺の部屋の中へ進入していた。
そして、日付が変わった事により様々な料金を払わず滞納していたマイルームは電気が落ち、俺は不気味な男と真っ暗闇の中二人きりとなる。
そして男が切り出してきたのが、住処保証付き、引っ越し代立て替えもあり、俺にぴったりの仕事がありますよ、という話だった。
最初はあまりに胡散臭いので断ろうとした俺だが、仕事を受けようが受けまいがどうせ俺に明るい未来は待っていない、なら当たって砕けろ、一か八かの仕事とやらにチャレンジしてみようではないか、とその仕事を受けると決めたわけである。
そして今の状況だ。
俺の昔の夢が妖怪と友達になる事、そして今の夢が妖怪関係の仕事をする事。
この夢が思わぬ形で叶ったわけだが、残念ながら喜びという感情は湧かなかった。
喜びというプラスの感情が入り込む余地は俺の心の中には今なかったのである。
「ほれ、ついた。ここじゃよ」
そして昨日の事を思い返す俺の目前に、ツタの絡むコンクリートでできた箱のような建物が現れた。
「こ、これは・・・」
「ささ、早く来い。わしらの城は地下じゃからの」
「地下・・・」
口を開けたまま固まる俺をおいて、じいちゃんと少年が正面にあるシャッターには目もくれず、その横の地面の下へと続く階段を下りていく。
俺は慌てて後を追った。
薄暗い地下はさすが妖怪の住処、と言えるような雰囲気に満ちていた。
土足で歩き回れるコンクリートの床にはダイニングテーブルや、椅子、テレビなど、普通の家のリビングのような家具が置いてある。
隅っこにはキッチンがあり、冷蔵庫や電子レンジなどが設置してあった。
そして、キッチンの対角線上に小さな座敷がある。
コンクリートの床から1段上がった場所にその座敷はあり、布団が隅に重ねてあるところを見ると、ここが二人の寝室のようだ。
広さは四畳半か。
「さぁて、君にはどんな仕事が似合うかなぁ」
じいさんはその畳部屋へと上がり、小さなちゃぶ台を押入から引っ張りだした。
「そこのダイニングテーブルを使えばいいじゃないか」
わざわざちゃぶ台を出さなくても。
「おじいちゃんはご飯を食べるとき以外はほとんどダイニングの机は使わないのさ」
のっぺらぼうの少年が答える。
彼ほんのり頬がピンクだ。
目や鼻などの顔のパーツはないけれど、それは見えないだけかもしれない。
実際は彼の顔には目や口がちゃんと引っ付いているのやも。
そして彼からじいさんに視線を戻すと、じいさんはいつの間にかなにやら書類のようなものを広げて、それを熱心に見ていた。
俺がどうするべきかと逡巡していると、少年が靴を脱ぎ座敷へと上がる。
そして彼はこちらに手招きをした。
こっちに来いという事だろう。
俺は座敷の入り口へと近づいた。
「おじいちゃん何見てるの?」
「そりゃぁ、彼にできるどんな仕事があるか、というのをチェックしているんじゃよ」
とじいさんは少し顔を上げ、こちらを見た。
「少しこちらに来なさい。ほれ、そこへ靴を脱いで」
ダイニングに電気がついており、その座敷にも小さな電球がほのかな明かりを投げかけているが、やはり薄暗い。
地下で窓がないせいか。
薄暗がりに見えるじいさんの頭の不気味さといったらなかったが、俺はじいさんの視線に耐えきれず靴を脱いだ。
恐る恐る畳に上がると、じいさんは手を振り、俺に座るよう促す。
雰囲気に押され俺は思わず正座した。
「そうじゃな、とりあえずこの建物について話しておこうか」
「いや、その必要はない」
俺はほぼ無意識のうちにそう言っていた。
自分でも驚いたが、確かに俺は説明を受ける必要はなかった。
なぜなら俺はこの場所を知っている。
「必要ない?じゃが、それじゃと何かと困る事がないかの?」
「いや、俺はここを知っている」
実を言うと、ここはどう見ても、ゆうすけ君の迷い込んだビルだったのだ。
ゆうすけ君というのは俺が小さい頃よく見ていた子供向け番組の主人公。
ドラマ仕立てのその番組には幽霊のゆうすけ君を始め、俺の目の前にいるようなぬらりひょん先生、ゆうすけ君の友達ののっぺらぼう、のっぺくん。
その他ろくろっ首のむむ姉さんや、化け狐や化け狸などな各種妖怪、いろんな仲間がいた。
そして、この地下がぬらりひょん先生たちの居城であること。
1階には例の化け狐と化け狸のリサイクルショップ兼骨董屋があること。
2階はろくろっ首のむむ姉さんの事務所があること。
ちなみにむむ姉さんは普通の漫画家として生活している。
というのもむむ姉さんは首さえ伸ばさなければ、普通の人間と区別がつかないからだ。
「知っている?それは一体どういう事じゃ?」
「知らないのか?じいさん達の事はテレ・・・」
テレビで見た、と言おうとした時だった。
不意に背後から何やら物音が。
「なんじゃ?」
俺の背後を見るじいさん。
俺も口をつぐみ、振り返った。
そこにはまたあり得ないはずのものがいたのだ。