真実の福音 | ノンデュアリティ

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真実の福音



ナチュラルスピリットが実在である

努力は無意味であり
疲れるだけである

疲れというのは
マインドの領域のことである

その自我は
好奇心であり
罪悪感である

マインドの不自然さは疲れをもたらす

安楽(無努力)が実在である

はじまりのある努力は無意味である
(生まれるものは滅びる)
それは幻想である

努力(私)
快楽や解脱を求めている
つまり好奇心と罪悪感の存在である
(以下は同じ意味の変化形である)
それはまた
集中であり混乱(崩壊)でもある
知識でもあり無知でもある
自己制御であり放棄したいともおもってもいる
束縛であり解脱を求める
喜びであり悲しみである
規則であり無執着を望んでもいる
幸福や災難である
それは
私のことである
私の世界のことである

しかし真実は熱情から自由である
道徳、不道徳という
偽りが無意味だとしっている
それらは活動の好奇心と罪悪感であり
二面性であり
私のことである
奉仕と猟奇は
同じ存在
それが私という天使であり悪魔である
私は分身する
世界の片隅で聖者とよばれ
世界のもう片隅で悪魔でいる

ナチュラルスピリットは
何も実在していないことを、しっている
それらは
幻影のしわざ
天界と地獄は
マインドの二面性である

特別の愛(好奇心)と憎悪である

ナチュラルスピリットには
誇りも謙遜もない

賞賛や非難は
マインド自身の世界にすぎない

ナチュラルスピリットには喜びも怒りもない

すべて区別をいやし
永久(とこしえ)に生きる

ナチュラルスピリットはいつも平和

真実には負担などない

いつわりをみぬく

永遠の無条件

ナチュラルスピリットは自由だ
永遠に生きる
それ以外は幻想にすぎない

努力や選択を要しない
真実は条件づけから自由なのだ

どんな義務にも束縛されないのである

最後の人生で

見ることなく見て

考えることなく考えて

行為することなく行為する

ただそれだけだ

自然であり

いのちであり

自由で

すでに完全である

ロープを蛇と間違うように

世界はあらわれる

しかし

ロープ(空想)すらない

私はこれ、あれだ
内側だ、外側だ
すべては根拠のないこと
どこにいこうと偽りの内側
にすぎない
あるがままの
なかでの騒ぎだ
外側などない

内観?外観?
ばかげた
はなし(内観)だ それはないのだ

いまあるがままにいきている

束縛されないし
自由の必要もない

真実はただあり、
すでにある