ラマナマハルシの本の解説 | ピュアノンデュアリティ

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ラマナマハルシの本の解説


幻想の愛、喜び
真の恩寵(愛)
のちがいについて

ラマナマハルシとの対話 第3巻(ナチュラルスピリット社)

176ページ(要約整理)

覚醒している場合
(想念は幻想、すべては純粋意識、目覚めた熟睡 ジニャーナ、つまり真我、ちなみにジニャーニという主体を意味する覚醒「者」はじつはいないのが真実なのでジニャーニという言葉は無意味ともいえる。)

存在(サット)意識(チット)、アーナンダ(至福)

覚醒していない場合の
(日中、夢見、ちなみに熟睡しているときは
想念はなしで至福もあるが、そのことに無知である)

純粋意識(チット)は

心(チッタ)に変化している

至福も、愛や喜び(プリヤ、モーダ、プラモーダ)へと変化している


ラマナマハルシの説明する
幻想の愛や喜びの例

市場の通りを歩く人の心

存在(心) 意識(見る) 至福(偽りの代替としてのマンゴーを見つけた喜び、プリヤ)

存在(心) 意識(購入する) 至福(喜び、モーダ)

存在(心) 意識(食べる) 至福(喜び、プラモーダ)

3種類の喜びは、どれも、他の想念の消滅によって起こる

つまり幻想


同本176ページ(聖典の説明の要約整理)

真我(純粋意識チット、ハート) 
  と心(チッタ)世界

心、世界が内面にひきこまれるのは
恩寵であり
真の愛により
至福が溢れ出す

つまり
(真我、純粋意識により、包括され、再顕示、知覚となる 
つまりすべては純粋意識としてみえる
奇跡講座ACIMでは真の知覚というのかもしれない
ちなみにNACの言葉では、自然精神(による)統一といいます

同ページでは聖典の引用として

眼やその他のすべての感覚器官を見る心眼(つまり私)
の背後にある眼よ(つまり純粋意識)
と表現されています。