(要約)映画、ドラマをふりかえる | ノンデュアリティ

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今までの映画、ドラマの視聴をふりかえります。
(もうこまかいことはおぼえていません)

気づくことは

いつもある精神統一 うち側の愛

に気づく助けとなったのは

たとえば奇跡の映画10(のちに11となる)作品であり

そのすべての映画と、そのなかの

最終兵器彼女

という作品でした
(なぜならこの作品は奇跡講座の世界観をも暗示させるものだからである)

(そしてのちに

ちはやふる 結び
から
蝶の眠り

とラスト作品の視聴となることになるのですが)

はなしをもどして、、

はじめ、愛は意識のなかの自我の影響があり
ゆがんだ表現となる
それは
よくみえて特別の愛、その最高の表現では博愛(奇跡講座のいう無垢なる顔というものになる)である
そしてその本性は奇跡講座(ACIM)のいうとおり憎しみである(神からの想像上の分離を信じたあとの不自然なかたちだからである)
 ナチュラルスピリット(神)を外側にみたゆえに
そのあと 自我は神の誤創造として
世界を投影したのである

これは意識が正しく反転する前の状態
である

しかし

正気の回復(マインドをいやす真の赦しにより
分離という罪悪感が半分以上、癒されることになること)により

意識の反転がおきることになると
(最終兵器彼女の作品を視聴していた頃のこと)

いつもある精神統一(うち側の愛 じつはこころ)の自覚は定着しはじめ

そのアイは
意識の外側の自我ではなく、意識のうち側のこころとしての愛の自覚が明かになってきたのだ

それが結びであり

ちはやふる 結びという映画でハートは完全に明らかになるはずだった

しかし

それは明らかになるのではなく

癒されきえたのであった

そして最後にのこったの

こころではなく自然の記憶
(ナチュラルスピリットの記憶つまりグラウンディングハート)である

それはナチュラルであり、無条件であり、無努力であり
兄弟のために、たどりつくための時間や距離がない

すでにあるナチュラルな平和である

もちろん

このぷち自然覚醒というものは、
実相世界(完全回復)ではまだなく

心への傾向はまだのこっており

完全な意識の反転(完全覚醒)による平安だけの延長ではありません

そのため、日々いろいろと感想をシェアさせていただきました次第です。
^_^

どうもありがとうございます