PR
「愛なき世界(下)」三浦しをん(中公文庫)
第3章
p21
世に中に鬼気迫る雑談があったとは、と本村は身震いした。
p34
生きたシロイヌナズナを実験に使っているのだから、いいかげんなことはできない。真摯に、着実に、少しづつ歩を進めるのを第一としよう。
p41
ときに歯止めが利かないから、好奇心とはこわいものだ。人間関係において、「余計なことを知らなきゃよかった」という事態はあちこちで多発していそうだ。
第4章
p115
もし、失敗や悩みごとをだれにも相談したり打ち明けたりしたくないのだったら、いつもどおりに振る舞うほかない。いつもどおりに振る舞う気力がどうしても出ないに
だったら、心にかかる事柄を思いきってだれかに相談したり打ち明けたりして、分け持ってもらうほかない。
p116
だれかに助けを求めることは、決してかっこ悪いことではないし、自分の無力を表明することでもない。まっとうなコミュニケーションだ。
p136
言語を持たず、気温や季節という概念すらないのに、植物はちゃんと春を知っている。温度計や日記帳を駆使せずとも、「これは小春日和ではなく、本物の春だ。そろそろ例年どおり、活発に生命活動をする時期が来た」と判断し記憶できる。
私も植物を見習って、感じたことをちゃんと受け止め、最善だと思える判断をしよう。せっかく脳があるんだから、限界まで考え、想像するよう努めよう。
p145
地道にコツコツと、を心がけ、またそれを得意とするあまり、守りの姿勢になりすぎていた。失点がないようにと慎重になるあまり、
なにごとも自分で把握でき、手綱を取れる範囲でそつなくこなそうと、小さくまとまりすぎていた。
p181~182
そういえば桜に関しては、「花が枯れる」という言葉を使わないな、と本村は思う。薄く瑞々しく張りつめたまま散る花びらが、無数の蛍のように闇に軌跡を描いていた。
第5章
p214
理解は愛と比例しない。相手を知れば知るほど、愛が冷めるということだってあるだろう。藤丸の本村への思いは、それとは逆だった。理解が深まるにつれ、愛おしいと感じる気持ちも増していった。
p217
そこまで身近な間柄になれなかった藤丸としても、「まじか。俺、本村さんのなかで植物よりも下なのか」と思うが、よく考えてみれば、植物と人間のどっちが上でどっちが下と決められるものでもない。
p244
「たまには散歩ルートを変えたくならないのかなぁ」
「ならないみたいですね。『同じ場所へ行けば、同じ顔ぶれと会える。だから植物が好き』とおっしゃってました」
p247
俺も同じだ。覚えようと思ったわけでもないし、忘れられれば楽かも知れないとも思ったのに、俺の脳は記憶している。いろんな料理を作る手順を。本村さんを好きになって、心臓がどんなふうに鼓動したかを。脳の仕組みなんて俺は知らないけど、記憶は勝手に刻み込まれた。たぶん、大切なことだからだ。
p272
「たまに、思うんです。植物は光合成をして生き、その植物を食べて動物は生き、その動物を食べて生きてる動物もいて……。結局、地球上の生物はみんな、光を食べて生きてるんだなと」
植物と人間を比べて、同じだなぁと思える感覚が好き。