緊急事態宣言が延長になって

実家の母とは7月末から会えてません。

 

ま、暑い時期はあまり行きたくないんですけどね。

 

弟とはゴールデンウィークに会ったきりです。

その時に弟から聞いた子どもの頃の話から

忘れていたことを思い出しました。

 

私が小さかった頃は

まだスーパーマーケットがありませんでした。

代わりに市場や商店街がありました。

 

買い物をするのに家から1番近いのが

駒川商店街でした。

 

肉はこの店、魚はここ、乾物は〇〇屋で、

豆腐は△店と、買う物によって店が決まってて

籐製の買い物カゴを手にした祖母や母に連れられて

行ったものでした。

 

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商店街の入り口から少し入ったところに

おもちゃ屋があって、

買ってもらうのはお誕生日とクリスマスだけと

知ってるけれど、その前を通るのが楽しみでした。

 

ところが弟は毎回おもちゃ屋の前で

「買って〜、欲しい〜」と駄々をこねていたそうです。

ですから、母は、弟を連れて行く時には

「今日はおもちゃは買えへんよ」と言い聞かせ

弟は「わかった」と約束するのですが

やっぱりおもちゃ屋の前に行くと

「欲しい〜、買うてぇ」と寝転んでたそうです。

 

そこで困った母は、おもちゃはダメだけど

好きなお菓子を買ってあげるからと弟を説得してたようです。

 

おもちゃはダメでも

オマケ付きのキャラメルなどを買ってもらって

弟は納得してたのでしょうかね。

その時に必ず母は

「お爺さんお婆さんには内緒やで」

と釘を刺したと言ってました。

 

グリコ グリコ 4粒×10箱入×(2ケース)

 

一方、私は何かを欲しいと言える子どもではありませんでした。

おもちゃ屋もお菓子屋もじろじろ見ながらも

黙って通り過ぎました。

 

弟のように「欲しい」とすら言わない私を

母が連れて行ってくれたのは肉屋の前でした。

 

鉄板の上でいろんなホルモンを炒めてる

おばちゃんがいて

注文するといろんな部位のホルモンを

キュキュッと竹串に刺してくれます。

大人になった今では苦手で食べられないホルモンを

子どもの私は食べてたんですね。

甘辛くておいしかった味を覚えてます。

 

この時も母は「内緒やで」と言ってたように思います。

 

母は、買い物をするのにも

同居してた祖父母に気を使ってたんですね。

 

ちなみにスーパーマーケットが出来たのは

小学校高学年になってからでした。

大阪万博の頃ですね。

今川駅前に

「主婦の店」というスーパーが出来た時は

ヘリコプターが店を宣伝する音楽を流して飛んでたのを

よく覚えてます。あと、アドバルーンね。

(今はサンエーになってるんですね)

 

そのあと、駒川商店街の近くにも

イズミヤやニチイができたのでした。

どちらも閉店したのですね。

 

商店街のことを書いてると

思い出したことがあるので

また次回に書くことにします。