Yale Open Course

英国近代史

Keith Wrightson

4. Communities: Key Institutions and Relationships

 

(1)  家計の独立と社会的機構との関係、共同体的結合と国家の結合、失われた過去の郷愁とモラルの反響、コミュニティの語源としてのラテン語、一つの存在としての質、家計の義務と差別の階層的結合、荘園の領主と農民の権威的結合

 

(訳注)前回までは社会的経済的基本単位として家計の結合関係を見てきた。今週からはコミュニティをキーワードに家計が依拠する社会的機構との結合関係を見て行く。共同体的結合から始まって国家的結合関係まで16世紀英国の機構発展史を語る。コミュニティという用語の定義をしている。この言葉を創作したのは19世紀から20世紀にかけての社会科学者で当時の急速な社会変化に対応して現代ヨーロッパやアメリカで失われた過去の温もりのある郷愁とそこに含まれる質素な勤勉な生活へのモラルの響きを持つ概念として、ラテン語の「一つの存在としての質」を意味するコミュニティを社会科学のアンチテーゼとして作り出した。田舎的、牧歌的な暮らしの質を意味する。しかし歴史家的にこの言葉を評価すると極めて二律背反の意味を持っている。農村の安定した社会への感傷と同時にそこに含まれる人間関係の密度と歪曲、憎しみと略奪と迫害の中で生きて行く農民の苦悩の両面を抱えている。そこには互恵的相関関係があるもののその結合は義務と差別の階層的結合であり、領主と借地人の権威的結合である。

 

前回は16世紀における人々の生活を支える最も基本的な現実的レベルと優先順位の高い家計を見てきました。しかしすでに明らかなようにこのような家計は独立しては生きていけない対照的にあらゆる家族は社会的施設との関係性をより大きな情景という文脈の中で維持してきた。そこで今週はこの文脈の序章を結論付けるために何かこの人々を一体化させる結合と国という結合について話をしたい。その最初にまず地域の共同体として結合し一体化している特定の機構やその関係に限って話をしたい。コミュニティcommunityという言葉を使うやいなや、一旦休止を置かざるを得ないのはこの言葉が多彩な意味を持っているからである。この使用はその時期の社会について重要な問題を提起する傾向が強いからである。(0113)単純に16世紀の英国の人々はコミュニティと呼ばれるような実体では生活していなかった彼らは荘園や教区や村や町と呼ばれるような場所で生活していた。

 

彼らがコミュニティという用語で使われる場所で生活しているのは極めて稀な話である。我々がしばしば実際にその概念を導入しコミュニティとして話すようになったのは社会科学者と歴史家の創作だった。更にそれ以上に何かそこに離れた過去の荘園や教区や村や町に存在していた社会的関係の本質的な質的な意味を含めたからである。まさにコミュニティという言葉自体に何かぬくもりを感じる。(0203)この言葉は何かの議論の原因を政治の社会で取り込むのに都合がよい言葉である。何かモラルの反響を呼び戻し、社会学者や歴史家がこの言葉を採用したときしばしば過去の郷愁を呼び覚ますものだった。コミュニティは常にある世代にその世代前に属していた手の届かないものだった。丘の向こうの危機に瀕し衰退したものだった。一種の以前以後のような待ち焦がれて温もりのある魅力的特徴をもつ失われた過去のようなものに見える。それも驚くにはあたらない。

 

まさに用語としてのコミュニティは非常に古いルーツを持った言葉でラテン語を語源とした文字通り「一つの存在としての質」という意味である。(0303)しかし19世紀から20世紀までに社会学者によって展開した概念は当時起きた急速な社会変化を判断し調べるために参照されたポイントとしてしばしば使われた。従って伝統的な大衆のコミュニティが一般的に社会科学の創設者によって現代ヨーロッパとアメリカ社会で途絶したあらゆるものが予定されていた。田舎的なもの小規模なもの、経済的にシンプルな、内向的な根源的に根付いた、温かみのある個人的な価値の均質な安定的なもので、何か伝統的に田舎暮らしのようなものである。(0402)Thomas Grayの18世紀の詩の「田舎の教会墓地のエレジー」はこの種の文学の好例である。Grayが描いたのは「昔の部落の祖先が葬られた教会の墓地」だった。彼はそれを「勤勉と質素な暮らしの役に立つ」もので彼らの性に合うからだとした。「浮かれはしゃぐ群衆からは遠い」「落ち着いた静かな谷間の」生活。これがこの詩のフレーズのすべてに広く使われた。

 

何故歴史家がこの昔の小さなコミュニティの長い伝統的な思考の表現に接し賛美したかは容易にモラルを含む用語が昔を想像し一定の昔の生活の質を仮定したからである。例えば15世紀後半から16世紀前半の一人の歴史家は村は「多くの家族で構成され含まれた一つの家族」のようだと描いて(0502)いる。他にも彼が引用したもので「農民たちの変化しない一定の生活システムは深い地下水からよどみなく流れ出る」「その数千年の流れは次200年の流れへと続く。」さて対照的にある歴史家は彼らが感傷的だと見るこの田舎のコミュニティの美化に激しく反応した。特にあるものはTudorの村を引用すると「悪意と憎しみに満ちた場所で、ただ時々起きる田舎の魔女の略奪や迫害の大衆ヒステリーのような発作に一体化しているだけである」両者の立ち位置はコミュニティの概念から生まれたもので(0601)、すなわちある学者には感傷的に曳きつける感情的に強力な概念であり反対に同様に人間関係の歪曲化された皮肉主義から怒りを買う概念である。あるものはコミューニティについて話をするのは止めた方が良いと言っているが、そうすることで確かに赤ん坊を浴槽に投げ込むようなものでコミュニティという概念はそれなしでは大変難しい概念である。

 

これは地域社会の社会的関係のある側面を描いているがノスタルジックな神話だけではない。地域機構に焦点を当てた一定の人々の間の結合関係の密度の濃さ、一定の互恵関係や相関関係や義務同一性の相互認識の質などを含む。(0703)歴史家としては過去の特定の部落や地域の古典的な意味での伝統的に信じられたそれに付随する特徴のコミュニティの無批判な仮定はしてはならない。コミュニティはモノや場所ではない。生活の質である変異するものである。常に存在するものではない。時間とともに増えたり減ったりする。変化するものである。形を変えて存在し単に過去に帰属するものではない。これは人間状況の継続的側面だが、これを機構的に個人的に実際の結合を再構築しようとして過去形で考えるとき人々の社会的世界を合体を通して描くことは、いわば、その結合を通して理解できるように読めるようにしたものである。(0805)それらを具現化したこういった機構とか関係が最も基本的なレベルで社会の結合的組織として考えられ多くのものを含んでいる。あるものは権威の関係するものがある。我々がすでに社会的秩序の中で遭遇しイメージされたのが義務と差別の階層的結合だった。(0834)田舎の社会は広い意味ではその基本的な関係性の定義は権威の関係すなわち領地と借地の関係だった