英国近代史(5)世代間の財産移転と長子相続制、家計戦略の共同体と集合要素、構成員の利害の衝突と欲望への適応、階層化組織の権利と義務、相互依存と補完関係、等価性の否定と利他主義、家計経営の相互尊重と補完関係、現代のイデオロギーと家父長制、家計の社会史その継続と変化

 

(訳注)今回が英国近代史の家計に関する講義の最終回である。何故家計なのかというと歴史の抽象化一般化の過程の中で、家計が唯一人間の顔をした場所だからだ。家計はこの時代明らかに権力と権威の領域の問題だった。家計と家計の結婚にあたる見合いは相続問題に深く関係していた。いわば世代間の財産の移転が長子相続制の文脈で、家父長制の文脈で語られていた。その固定観念は神の摂理として容認されてきた。しかし一方では相続人間での均等配分も行われていた。特に家父長制のイデオロギーは妻のパートナーとしての家計終了後の座を危うくする。特にこの時代は遺言執行人の権能が強く未亡人が死ぬか長子が成人になるまでは執行人の管理下にあった。しかし実際は妻の座は明らかに家計の管理をすべて任され子供の教育を始め家計の世代間移転にすべて関わってきた。逆に家計経営とは何かと考えると明らかに家計という共同体の構成員の補完関係の要に位置していた。本来家計という階層組織には平等という概念はない。それぞれの階層における権利と義務を果たすだけである。現代は家父長制というイデオロギーは忘れ去られているが、その維持存続にはあらゆる組織と同じように階層的指揮命令がなければならない。しかしその一方でこの組織は構成員の福利を目的とする共同体であり、権威と個性の微妙なバランスの上に成り立っている。そこで構成員の利害を調整するイデオロギーは利他主義だと教授は言っている。この言葉は日本ではあまり見かけないがアメリカでは組織の論理として「利他主義」は強く主張されている。その淵源は16世紀の英国近代史で生まれた共同体の経営概念からだった。アメリカ経済や政治が他の国よりも安定的に見えるのは、この近代英国史の「家計」が様々な環境変化に対応して自らを変容させてきた知恵から生まれたものだった。

 

 

思春期に子供たちが入ったとき当時の結婚のお見合いも様々な点で相続の問題を抱えていた。世代間の資源の移転の問題である。一般的には16世紀の英国では長子相続制を支持していた。家族の財産の最大の分け前の行き先は長男だった。しかし同時に子供たちに財産の一定割合いを成人後の生活の助けのために均等に配分することも信じられていた。Tudor朝時代の弁護士は彼の見解として「善良な自然の愛情を持つ父は」「彼の子供たちすべてが神の摂理に導かれ、彼の能力に応じて一定の生活と財産を受け取れる」と言っていた。さもないと彼が遺言を書いてその財産を子供たちの間に分与するとそれは父親だけの問題(3702)としてこの家族の戦略が明確に完結するが、従来は父親の死後の家計経済の維持は未亡人によって図られていた。従来は未亡人に対する人の遺言は遺言執行者が家族財産を彼女の死ぬか長兄が成人に達するまでは完全にコントロールしていた。

 

これらの女性は全ての要求される能力と経験を持っていると単純に仮定されていたからである。これが家計の最終の局面へと展開し、これらの関係構造の中で権威と権力の問題へと展開した。これまで話してきたすべての家計戦略には一定の共同体的要素、集合jointnessの質の要素があると言える。(3808)異なった個人の相互の利害関係がある。家計を構成する個人を一つの単位とした集合的な利益や期待や欲望に適応しなければならない。その家計の中の意思決定は真に集合的でなければならないと言ってもいいかもしれない。家計は社会一般と同様に階層的分化の原則によって組織化されている。人々の義務と権利はその階層のレベルに応じて考えられている。今まで見てきた家計経済は相互依存に関係し補完的努力に関係するが、必ずしもメンバーの平等な負担ではない。(3902)それは必ずしも現代的視点での等価ではない。あらゆる意味で家計は他者の利益を考慮した利他主義の領域であり、同時に個性の衝突であり資源にかかる競合関係である

 

現代の法律とイデオロギーが残してきたのはこのすべての経営の任にあたる究極の権威の存在である。この任はもちろん家長にある。しかし同時に明らかなのは家計の個人的活動に家計活動に見えるほのかな光はその典型的な固定観念よりもさらに複雑なものである。我々は無競争の家父長支配という固定観念を持っている。しかし現実はさらに多彩なものである。(4001)女性が性的に従属しているという事実は彼女らの能力の認識を排除しなかったし、彼女の判断力の認識を排除しなかった。そのような資質は期待されたし彼女たちは日々の家事の管理の中でそれを表してきたことを見てきた。従って妻たちはしばしば家族の幸福の意思決定の沈黙の目撃者からはかけ離れた存在であるという証拠は十分である。彼女らは現実的な結婚の条件の交渉を子供たちの特定の候補者との見合いに反対したり承認したりしてその証拠を見せた。人々の遺言の決定に関する証拠は女性が夫にアドバイスし時には異議を唱えるなど深く関わっていたことでそれを示した。(4100)

 

彼女らは究極的にその遺言の管理者であり執行者の一人であり、その決定の声を上げていた。明らかにその声はいたるところで聞かれ耳を傾けられていた。家計の文脈の外でもほとんどの女性はわずかながら公的権威を行使しその中で認識した役割について一定の権利や資格の話し合いが行われた。Anthony Fitzherbertはその「家計の節約の書」のなかで妻も夫も時々彼らはお互いに「見積」をすべきだとアドバイスしている。彼は経済的な活動を考えて、お互いの活動の見積もりをすべきだと言い、続けて「どちらか一人が他者を欺いたことがあるなら彼は自分を欺いたのであって経済的繁栄は望めない、だから彼らは相互に真実でなければならない」(4203)この一言で結婚のまた家計経営の理想的な相互関係を表し、家計の日々の日常的活動を表現している。勿論これが直ちに平等の局面に変移したのではないしかしこれが共有財産の優先順序を追求する上での補完的尊重と補完的関係の働きに発展していった

 

簡潔的に言えば家計は権力の領域であり、権威の領域ではあるが、その実行は関係する個人個人の個性とその役割に常に影響される。(4301)この問題を深く研究したい人は常にこの様々な要素の微妙なバランスに心掛けなければならない。結論として、近代の社会と経済が一人の歴史家David Rollisonによって、「景色の中の家計の文化」として描かれた。家計は確かに基本的なものであり、その当時の社会史の中の継続と変化の両方の基本であった。これまで述べてきたことが16世紀から17世紀を通して持ちこたえてきた一つの特徴だが、しかし家計のある側面は変化した。それは環境の変化に伴って変化してきた。(4400)この時期に起きた様々な領域での変化、経済的、人口変化、社会構造、文化は家計の関係に大きく影響した。そのいくつかは家計経済の実行可能性の脅威になり、経済や人口の変化の側面が脅威になった。変化のいくつかは新しい機会を創出し、その機会は家計消費材の機会であり、子供の教育に関する新しい教育の機会など、他にも後の講義で出てくるが新しい流れの中で誕生した。

 

一般的に言えばこの時期の変化の流れと変化の結果は決定的な環境の変化への対応を何千もの家計に及ぼしすべての構成員はその対応を手にした。(4500)家計に影響を及ぼしたのはただ個人の関係しない社会的権力の問題だけではなかった。当時の様々な変化は個人も家族も彼らの価値観や優先順序に適応した戦略の採用を迫られた。こうした方法で考えるのが役立つと思うのは何かこの近代に起きた人間の顔をした家計が抽象概念や一般概念を与えてくれるからである。いろいろな意味で歴史家の再現する能力とその顔の変移する表現が研究する価値があると考えるからである。次回からは様々なコミュニティとその制度と関係のパターンを見て行く。