英国近代史(4)結婚と家計の独立への変移、貴族階級の結婚と許嫁、結婚の政治学社会学経済学、等価性の経済学、契約の不均衡とgood will,不均衡とモラル、相続財産と家計の分散、社会的継続とendowmentの概念

 

(訳注)家計を発展的に維持する経営戦略の最高のものが結婚だった。そのための準備期間として召使や奉公人のシステムはメリットシステムとして機能した。如何に若者を今の帰属家計から自立させるか古来結婚はその個人的求愛活動は別にして社会経済学的に家計の成長の重大な経営戦略である。かって貴族階級は許嫁制度をもっていわゆる見合いmatchingをして将来の家計の安定を確保してきた。それは貴族階級のみならず一般的な紳士階級や農業家計商業家計手工業家計そして労働家計でも家計の分散機能を結婚は果たしてきた。パートナーとの個人的求愛活動はそのきっかけに過ぎない。結婚の社会経済学的研究はこれまでも極めて少ないが、家計財産の分与という側面でとらえると両家の取引の等価性という経済学の要素が見えてくる。更に婚姻の成立には両性の合意という憲法上の保証概念だけではなく、通常実質的な利害関係者の暗黙の合意が成功の基になっている。そこには不均衡な結婚は相手方のgood willというモラルの問題が横たわっているからだ。特に女性側からは処女性の喪失という女性の両親の同意とともに結納という財産移転による家計の分散とともに、現在の両親の家計の存続保証という難しい問題がある。特にこの時代は英国のみならず年金制度という老後保障がなくそこからまだ日本には定着していないendowment寄贈概念が生まれた。

 

 

 

このケースは多くの場合奉公人にも当てはまるが、奉公人システムはメリットシステムでありスキルの訓練が顕著な側面を持っている。家計は結局奉公人となる子供に投資をしている。彼らは親方に報酬を払ってその将来を期待する、彼らの奉公人修業が終わったとき彼ら自身が親方職人となる。召使と奉公人のシステムは当時の若者が成人後の将来の責任を準備するものでそのほとんどは結局結婚することになる。結婚は彼らが家計に変移した結果で、家を離れそこで個人の欲求と個人の野心とが彼の属していた家計の戦略から妥協的な移行時点である。(2905)結婚は極めて複雑なプロセスで、多くの記録が残っているがその卓越した研究はわずかしかない。親が若い者の結婚のアレンジをすることがまれにある。親にとっては子供に許嫁を提示するのは幸福以上のものがあるが、貴族階級の間ではその子供たちの間で良縁を得ることは極めて一般的だった。

 

結婚はその家族の間では政治的社会的重要性があり、そのことが若者たちが家から離れる重要な問題だった。しかし一般的には若い人たちは多くの場合結婚相手にふさわしい人を群集の中から個人的に選択を許されることが多く、すなわち社会的経済的に適当かつ適切なパートナーを選択することだった。(3005)結婚には理想的な等価性がある。結婚相手としてふさわしい等価性である。彼らが「縁組」というときは、まさに社会的等価性のことを言っている。若い人同士の求愛行動がきっかけになっているかどうかは別にして、あるいは両親や保護者の主導や提示がきっかけになったかどうかは別にして、結婚の成就が成功するかどうかはある歴史家が言うように「多数の同意」が要件になる。若い人たちだけの一方通行の話ではない。両親による一方的なアレンジメントだけでもない。多数が同意するかどうかが問題でつまりは全ての利害関係者の支持と同意が重要で、両親はもちろんのこと近親者や時には兄弟姉妹など何らかの利害関係者が重要である

 

これがときに敏感な影響をもたらすが、時には極めて乱暴に断行されることもある。(3110)William Perkinsという有名な清教徒の説教師は父親が娘の彼女にプロポーズした結婚について悩んでいた若い女性にアドバイスをした。彼のアドバイスは「汝の処女性すべて汝の処置するものではない、ある面ではそれは汝の両親のもので、汝の父がそれに一撃を加え、汝の母も別の一撃を加えた。親戚も第三の一撃を加え、そのすべてに戦ってはならないが汝を汝たらしめたものには違う。」つまりこのケースの場合は彼女に要求されるすべては彼女の同意であるが、多分不本意なものだろう。

 

家族の間で財産が少ないか無い場合には、他者の契約または「good will」としばしば呼ばれることがあるが、大体は単純なモラルの問題である。(3203)貧困層からの若い人は多かれ少なかれその活動は自由である。彼らは自らの稼ぎと蓄えで独立を目指すものであり、そうするには年数がかかるが彼の家族からのプレッシャーは少ない。ある若い女性が最終的には独立を目指して準備していたが、その若い女性はIsabel Fowlerと呼ばれたが1550年ごろ未婚のまま死んだ、その財産がリストされていた。彼女は当時依然として召使として働いていた。彼女は衣装箱を持っていた。その箱の中には衣装と台所用具と寝具が入っていた。彼女の主人は彼女のために3ポンドの積み立て賃金を持っていた。彼はある意味で銀行家のような働きをし、それに加えて彼の群れの中で飼うことを許した3頭の牛を持っていた。(3308)Isabelは明らかにこれらをまとめて許嫁との結婚を待っていたが、悲しくも死んでしまった。思いを達することはできなかった。

 

しかしもし結婚出来たら良い掘り出し物を見つけたと言えるだろ。財産を持つ人々の間ではそれが小規模農家であるか、経済的備えが社会的尺度でもっと高いかどうかはより複雑な問題である。当時の研究者は「若い農夫が恋に落ちたが両親はどうやって生活するかと問題を投げかけた。」両方の家族は一緒になって「結婚ファンド」を立ち上げた。花婿は住まいと暮らしの糧を期待していた。花嫁はいわゆる「結納」を持ってくると期待された。彼女の結納は財産や金また多分彼女の家族が彼女に寄贈した土地さえも含まれていた。(3404)こうした資源はその一部は若い人によって積み立てられるだけではなく、相続や贈与など親の助けによって社会的レベルが依存するという重大な問題でありその合計は極めて大きな金額になる。1500年代である研究によれば南東部のKent郡の紳士階級の娘が与えられた割合は平均で280ポンドだと言われる。16世紀としては紳士階級の家族が娘に持たせたのは極めて大きな金額であった。同じ群の村人たちもっと少ない金額だが20ポンドから30ポンドの間だった。

 

そのレベルがどうであれこうした取引はその家族にとって重要な関心事だった。彼らの家族がいくらだったら出せるか計算し、花婿と花嫁の家族が結納の割合を値踏みし交渉をした多くの証拠が残っているが(3501)このすべては家族が若い子供たちにどれほどかかわっていたかを物語っている。彼らに何を残すかだが、同時に残された家族が経済的にいくらなら生き残れるかという計算もした。つまりこの計算には結婚が申し込まれた時多くの戦略的思考が関係し、そのすべてが上手く出来たら婚姻が成立し、新しい家計が成立しendowment寄贈が成立する。そうでなければ両親の支援の拒絶は若い人の関係する結婚の希望は破局に転じる。この問題に関心があればDiana O‘Haraの課題書を読むことをお勧めする。「求愛と束縛」。これは16世紀の求愛行動の素晴らしい研究である。(3601)