(3)貴族と紳士と土地所有権、土地保有権と自作農家、独立賃金労働者への流れと16世紀の都市生活の多様化とロンドン、金満家と金権政治の誕生、大資本と繊維産業の誕生

 

(訳注)前回は貴族階級と紳士階級の土地所有を中心とした身分制度と社会構造を見てきた。さらにこの農業経済はイギリスの95%以上を占める農民経済だった。そこにも自作農や小作農、さらには小作人と農場労働者などその形態は各地で多様化していった。しかしその他にも余剰農産物を市場で売却したり粉屋や鍛冶屋や仕立て屋や酒屋など職人と商人が生まれ田園社会の労働形態は差別化されていった。酪農家は比較的安定した生活をしていたが一方では村の共有地に放牧権を認められ大部分の農家はその日暮らしの生活をしていた。こうして16世紀の流れの中に職業の多様化と富裕層の誕生そして都市化という流れが生まれた。特にロンドンは当時としても大都会で商人や職人だけではなく弁護士や医師などの専門家、聖職者や未熟練労働者などが生まれた。しかし当時は大商人が巨万の富を稼ぎ同時に都市の支配者となる金満家と金権政治という資本主義の流れが生まれた。更にこの大資本はギルドとしての職人社会だけではなく、原材料の提供から製品の引き取りまですべてを包括する産業システムが誕生した。その最初が繊維産業だった。

 

 

 

社会構造の現実的な率直な認識である。貴族と紳士はほとんど土地に付随した財産権を所有していた。しかし当然それは全体のわずかの割合で多分2%程度のものだった。その余の98%は大多数が田園地帯に住んでいた庶民のものだった。1520年代のイギリスでは最も早い時期でもかなり正しい人口推定ができ、その人口は2.4百万人で10%を超えない人が町に生活していた。事実5%が人口5千人程度の町に住んでいた。人口5千人と言えば16世紀ではかなり大きな町だった。Walesの人口は25万人程度で町に住んでいた人も少なかった。(1905)ここは山岳地帯で海岸地帯を除いては都市定住者は非常に少なかった。従って我々が扱うのは圧倒的に田園社会だが、庶民は農民大衆と区分することはほとんどできなかった。田園社会は地代を稼ぐ土地所有者の紳士階級のもとに人々は4つの従属的集団に分かれていた。Yeomen(自作農),Husbandman(小作農),Craftsman(職人),Tradesman(商人)である。そして小作人と労働者である。これらの集団の詳しい定義は配布資料を見てください。

 

Yeomanは自由な土地保有権を持つ自作農と定義されるが、事実はその大部分は小作農である。Yeomenで重要なことは彼らは実質的な賃借農家であることである。彼らは労働者を雇い実質的に市場性のある余剰分を町の市場で売却することができる人たちである。(2007)この人たちは多くは村の裕福なもの、あるいは主たる定住者として描かれている。彼らの下にhusbandman小作農や一般的には自家消費を支えわずかに市場で売るだけの生産をする30エーカー以下の土地を保有する小家族農民がいるがその大部分は直接の家族労働に依存している。それから村の職人や小売商がいる。その幾人かは資産家でもあった。粉屋や鍛冶屋は豊かな生活をしていたがそれ以外は普通は貧乏な生活だった。仕立て屋や酒屋は比較的貧しくほとんどの職人はそれらの中間に位置し兼業農家として仕事をしていた。最後に作男や労働者がいた。(2108)彼らも時には数エーカーの地主や農家から借りた土地を持っていた。

 

時には彼らも小売りをしたりするがその重要なものは地主や大規模な賃借農場で働きながらその賃金に依存していた。これらを一般化すると地方の人々の様々な異なった集団の割合は地域地域で大きく異なっていた。一般的に言えるのは田園社会は高度に差別化されていたことである。大きな自作農の少数は広い中間層は職人や酪農家として安定した生活ができ、別の大部分は16世紀には約4分の1はむしろ全体的に小作人や労働者として食うや食わずのその日暮らしの生活を余儀なくされていた。(2208)しかしほとんどの人は依然として様々な形で土地にしがみつかねばならなかった。小作人や労働者でも一般的には村の共有地に小さな借地をもち家畜たちに牧草を食わせる権利、放牧権を持っていた。賃金労働者として完全に依存できるものは田舎では極めて例外的だったが、私が強調したいのはそれが16世紀の流れの中で何か変化し始めてきたことである。

 

それでは町の方はどうなっていたか。都市生活者は前に言ったように極めて少数派だったが非常に重要な少数派だった。町と言っても一定日に開く小さな市場町から人口5000人以上の大都市と考えられるものまで幅があり(2300)そして南東に下った一つの重要な都市がロンドンであり、16世紀の初めには5万5千人の人口に達していた。ロンドンは当時の尺度から見ても重要な都会であった。他の講義でも都市の分布状況を見るが今日強調したいのはたとえ小さな町でも田舎と比べると多くの多彩な職業と社会構造があったことである。そこには商人が含まれる。製造業も含まれる。非常に少数だが一流の専門家、弁護士や医者が含まれる。そこには田舎の村より多い多くの聖職者が含まれ、さらに多くの未熟練労働者が含まれる。職業には大きな幅が見られるがその幅の中にはかなりの富と地位と豊かさの差が見られる。(2402)

 

都市の大商人の頂点には巨大な富を持つ人間が君臨し一般的には町の支配者だった。一つの例としてはRobert Jannysという男は、食料雑貨商であり16世紀初め東Angilian地方のNorwich市の市長だった。1523年残った所得に対し税金が課せられたがRobert Jannysの税金はKent州の最大の都市Rochester市の全税収より大きかった。彼は金権政治家であり全イングランドの主要都市には彼のような金満家がいた。都市のエリートの下には町の平均的な職人の親方がいた。彼らは衣類や革製品や金属製品などを彼らの工房で提供した。(2509)この人たちの基本的な区別は彼らは独立した職人の親方で自分の作業場を持ちその名は日雇いの賃金で働いていた年季明けの一人前の職人として知られた。熟練の職人は親方職人の従業員として働いていた。

 

親方職人の間ではそのほとんどは完全な自己勘定で製品を生産し小売りするだけではなく、ある都市では原料を供給し完成品を引き取り市場に製品を出荷する大規模な商業資本家の実質的な従業員となった。これは「製造販売システム」として知られた。熟練の職人に仕事を出して製品を引き取り市場に出す方法である。これを特に話すのはこれが重要な一つの産業としてイギリスで組織化された形態であり繊維産業だった。(2604)毛糸の製造でそのほとんどはヨーロッパに輸出され一定の地方では極めて重要なものだった。Norwichは繊維産業の町であり東Angliaやイングランド南部や一部の西部の他の多くの町でも重要な産業だった。富や地位や身分やその程度のいくつかの重要な差を見てきた。同時代人たちが強調した二つの重要なカテゴリに戻ってみよう。性差と年齢である。