Yale Open Course

英国近代史

Keith Wrightson

2. "The Tree of Commonwealth": The Social Order in the Sixteenth Century

 

(1)16世紀のイギリス世界の社会秩序、Tree of Commonwealth 、説教書

 

(訳注)今回から正式に英国近代史の講義に入る。最初に当時のイギリス社会の輪郭をヘンリー7世からヘンリー8世への交代劇をロンドン塔に幽閉されたEdmond Dudleyの遺書のようなTree of Commonwealthから紹介している。この時代から今に至るまでイギリス社会を語るキーワードはこのCommonwealthという用語である。日本語の訳は王制とか領土とかになっているが正しくは政治的主体という意味である。Dudleyはこれを例えてこの大樹の4つの根と4つの果実と言っている。神への敬愛と正義と信頼と調和が4つの根である。4つの果実は結果としての平穏と善良と繁栄と栄光である。このCommonwealthという概念はそれぞれの社会集団の利害抗争を回避しようとする知恵から生まれている。王と聖職者と騎士と平民、農民と都市商人や職人、それぞれが天職として義務と秩序に励み貪欲と怠惰を廃止社会を規範化しようとする理想主義である。しかしイギリス教会で語られる説教の書は極めて現実主義でこの世の中が非正義で秩序や当地の乱用、極悪非道欲情の自由と罪とバビロンの混乱に満ちていると警告している。この共同体主義の理想と現実社会の非合理をまとめたのがイギリス16世紀の社会の輪郭であるとしている。

 

 

さて今週と来週は文脈の設定に集中し、あまり知られていない社会の輪郭を紹介し、今日はまず最初に社会秩序の話をします。いかに人々が16世紀の社全体を世界として認識していたかである。500年ほど昔、1509年の秋Edmund Dudleyという名の男がロンドン塔に収監された。そこは大きな国王の要塞でロンドンの東の端に聳え立っていた。そして今もそこにある。彼は捏造された反逆罪の罪で収監された。Dudleyは弁護士だった。彼はヘンリー王7世をある不人気な政策を助け、1509年王は死んだ。新しい王ヘンリー8世がわずか18歳で王座に就き、すぐにDudleyを狼として投げ込むことである人気を勝ち得た。(0101)処刑を待って牢獄にいた時Dudleyは「Tree of Commonwealth」という本を執筆して人間と神との和解をしようとした。これは彼を救いはしなかったし彼も多分期待しなかったであろうが、これは16世紀の社会的価値の宣言として生き残った。ある16世紀社会のキーワードを紹介する役に立った。

 

「Tree of Commonwealth」の中にDudleyは王制の支配下にある新しい王のヘンリー8世の下にあることが王政の繁栄のために理想的状態として表現した。彼がタイトルに使用した「commonwealth」という用語は16世紀の政治的政策議論のキーワードで、それは王国の全体の政治的主体を意味した。そしてまた社会の公的福利の共通の財産、共通の利益を意味した。(0208)その議論の中でDudleyは本の中で精巧な寓話の形をとった。彼はCommonwealthを大樹になぞらえた。そこにはCommonwealthの4つの根があった。Love of God神への愛、Justice正義、Trust信頼、Concord調和である。そしてCommonwealthの4つの果実があったTranquility平穏、Good example善良、Worldly Prosperity繁栄、Honor of God栄光であった。Commonwealthの果実はこの調和のとれたCommonwealthの幸福の成果であった。王の導きの手の下での和解を含めて誰もが調和的なCommonwealthに結合することですべての主要な社会的集団の利害とその抗争を避けようとした。(0301)

 

DudleyはCommonwealthの表現の中で様々な社会集団の構成要素を表しそれを王国の主体として区分し、そうすることで従来の因習的なものを彼が呼ぶ三つのestates財産とかorder秩序とか三つの財産に分けようとした。それぞれがその役割を持ちそれぞれがその義務を持つ。まず最初に聖職者が来る。彼らの役割はキリスト教の価値を維持するために牧師の霊的指導によって全ての善のために祈り、すべての世俗的な誘惑や肉体の欲望を断つこと。これらのすべてが説明された。続いて二番目の財産は彼がchivalry騎士道と呼ぶもので、騎士道はエリート精神をもとに公爵の地位にトップダウンで騎士から郷士そして紳士として拘束された。(0400)これらの人々は全て寛大な血統の人と考えられた。彼らの務めは戦争の時に王国を守ることそして平時には王の下で適切に統治することだった。彼らはその支配者として地主としての権力の乱用を避けた。彼らは貧者と弱者を守り救済し王に奉仕することだった。第三にはDudleyが王国の平民commonalityと呼ぶ者がいた。基本的にはその他のすべてで、田園地帯の農民層から都会の商人までの普通の人たちである。

 

これらのすべての人は寛大な血統の人ではなかった。彼らの務めは生計を得るためにその社会における持ち場に適切な労働をし、家族を維持し、その余の人を支えることである。(0502)彼らはDudleyによって貪欲を避け、怠惰を避け、身の程知らずの厚かましさを避け、己の持ち場を守ることを勧められた。また彼らはその生まれや立場に対してねたんだり不満を口にすることがないように勧められ、ほとんどの労働はその痛み顔の汗にあるべきだとされた。これは学生に対する素晴らしいアドバイスである。繰り返せばねたんだり不満を口にすることを避け、ここに勤勉と痛みとほとんどの時間は顔の汗の中に生きていることを自覚せよ。このすべては16世紀の完全な従来型の社会秩序の構造と目的の説明だった。(0600)ある面では主要な社会の構成集団の記述的な説明だった。ある面では明らかな規範的なもので、いかに彼らは生きるべきかを規範化しそうすることで、社会の中心的なDudleyのような人物が抱いていた当時のモラルの理想形、調和と義務と秩序を具現化することだった。

 

さてこれは明らかに共同体主義者の理想だった。Dudleyは明らかに共同体の相互依存的結合であるcommonwealthの虜になっていた。しかし同時に明らかに平等主義者ではなかった。構成集団は相互依存するが絶対的に平等ではなかった。それぞれの集団はその分に応じた貢献を期待された、Dudleyが言ったようにin its degree身分に応じ、according its place立場に応じたものだった。(0701)このdegreeで彼が意味したのは3つの階級の中で富と地位の異なったグラデーションのことだった。階層的ランキングは社会秩序の概念としては16世紀には基本的なことだが、人々はそれを忘れることは決して容認しなかった。さてEdmund Dudleyのロンドン塔の監獄の和解のことは忘れて、代わりに二三十年後のイギリスの9000の教区について想像してみよう。日曜日の朝。教会のベルが人々を教会に誘うために鳴り響いていた。16世紀の教区で指導助手のような役割をした教会委員は人々が紳士階級は前の席に下層階級は後部の席に適切に座っているかを確認するために通路を歩き回っていた。当時は教会に犬を連れてきたので彼らは犬を追い出しすべてを落ち着かせていた。(0804)

 

一年に一度墓のある灰色のひげを伸ばした教区の牧師が説教台の前で説教書を読み上げた。この説教書はイギリス教会で発行された公式の説教で、一年の中で定期的に読み上げられた。初めに「全能の神が天と地と水の中の最も優れた完全な秩序としてすべてのものを創造され命令された。天には異なった大天使と天使の秩序と階級を命令された。地には王と妃とそのもとに他の臣下をそのすべては善なる必要な秩序として割当てた。すべての人の天職の程度に応じ彼らの義務と秩序を割り当てた。あるものは高くあるものは低く(0919)あるものは王として后としてあるものは劣後に従僕に僧職に信徒に、あるものは主人に召使に父に子に夫に妻に金持ちに貧乏人に、そこには正しい秩序はない、あるのは統治の乱用と欲情の自由と極悪非道と罪とバビロンの混乱だけである。」これが服従の説教の最初のパラグラフでこの説教書が最初に発刊されたのは1540年代であり他にも精巧なTudor時代の社会的秩序の階層の強調とその程度と秩序の認識の宣言がこの最初の一節にこだました